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第三章 華麗なる殺人 一(4)
日期:2023-12-22 15:58  点击:247

「篠崎さん」

 と、しばらくしてから声をかけたのは、非業に死んだ加奈子の実弟柳町善衛である。天

坊さんとちがって落ち着いた声である。

「はあ」

「あなた、金田一先生に真野信也という人物のことをお話しになりましたか」

「はあ、ひととおり……」

「金田一先生」

 と、善衛はこんどは金田一耕助のほうへむきなおった。

「はあ」

 と、金田一耕助がふりかえると、善衛は大きなべっ甲ぶちの眼鏡のおくから、やさしい

が、どこかシニカルな眼をしてわらっている。ルパシカふうのデザインの上着をゆったり

着こなして、襞ひだのゆるんだコールテンのズボンはだぶだぶである。ベレー帽をおいた

頭の髪は、金田一耕助にまけず劣らずくしゃくしゃで、年齢も金田一耕助とおっつかっつ

というところであろう。金田一耕助はあとでしったのだが、柳町善衛といえばフルートの

演奏者としてそうとう有名であった。

「いかがでしょうか、金田一先生、あなたのお考えでは、これ、やっぱり真野信也という

片腕の男のやったことだと……?」

「さあ。……」

 と、金田一耕助は困ったように、眼をショボショボさせながら、

「そうおっしゃられても、ぼくにはまだなんともいえませんね。だいいち、真野信也なる

人物が実在の人物だかどうだか、それすらわからないのですから……」

「あら、金田一先生」

 とつぜん、下のほうから抗議するように声をかけたのは糸女である。

 金田一耕助は大柄ではない。いや、いつもいうとおり小柄で貧相な男である。それでも

立ったまま話をするとき、八十になんなんとして、前屈みのくせのついた糸女の声は、ひ

どく下のほうから出るのである。

「それでは、金田一先生はタマ子が噓うそをついているとでもおっしゃるのでございま

しょうか」

「いや、いや、お糸さん、けっしてそういう意味ではありません。しかし、かりに真野信

也なる人物がここへやってきたとしても、いったいそれは何者なのか、それがわからない

あいだは軽々に、その人物の手による犯行と断ずるわけにはいかないでしょう。そうそ

う、それで思い出したがお糸さん、その男、黒眼鏡をかけ、大きな感冒よけのマスクをつ

けていたということですが、それはあきらかに顔をかくしていたんでしょうね」

「はあ、でも、その話なら念のため、タマ子に直接きいて下さいな」

 と、糸女はあたりを見まわして、

「いまここにいた、若い娘がタマ子なんですけれど‥…」

「ああ、そう。それではあとで聞いてみることにしましょう」

 と、金田一耕助はさぐるように糸女の横顔を見守りながら、

「しかし、ねえ、柳町さん、その男が……真野信也と名乗ってきた男がかりに尾形静馬

だったとしても、なにも古館さんを殺害する理由はなさそうに思いますがねえ」

「いいえ、金田一先生」

 と、糸女の声は薄気味悪いほど落ち着いていた。

「そんなことはございませんのよ。静馬さんが生きていたら、だれよりも辰人さん……い

まあの馬車のなかにいる男を憎んだことでござんしょうよ。八つ裂きにしても飽き足りぬ

くらい憎んだことでございましょうよ」

「お糸さん。そ、そりゃまたどういうわけかね」

 と、くいいるように糸女の横顔を見つめているのは慎吾である。下からその顔をふり仰

いだ糸女の眼には、かぎりない憎しみの色がもえている。


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