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第三章 華麗なる殺人 一(5)
日期:2023-12-22 15:59  点击:256

「旦那様も金田一先生も……」

「はあ」

「さっきも金田一先生からそういう疑問が出ましたわねえ。なぜ辰人さんがそんなに静馬

さんを怖れるのかと。……しかし、あの男が……」

 と、糸女は憎ぞう悪おにふるえる指で、馬車のなかの男を指さすと、

「あの男が生きているあいだは、さすがにわたしも申し上げかねたのでございます。しか

し、いまとなったらなにもかも申し上げてしまいましょう。これはおそらくここにいらっ

しゃる、天坊さんや柳町さんもご承知のことと思いますけれど、あの男は加奈子奥さまに

いどんだのでございますよ。いかに生さぬ仲とはいえ、げんざい母と名のつくひとを手て

籠ごめにしようとしたんですの。そして、それが失敗すると、こんどはその腹いせに、加

奈子奥さまにたいして悪声をはなちはじめたのでございますの。つまり加奈子奥さまと静

馬さんが怪しいと、先代様に中傷したんでございますの。そうでなくとも嫉しつ妬とに眼

のくらんでいられた先代様は、それでくゎっと逆上あそばしたんでございますの」

「天坊さん!」

 金田一耕助の耳のそばで爆発した慎吾の声は、おさえかねる怒りにふるえていて、

「それはほんとうの話なんですか。いまお糸さんの話したことは…‥?」

 天坊邦武は困ったように、八字ひげのさきをひねりながら、

「いや、その……いまお糸さんのいった、加奈さんにいどんだってこと、……そりゃ、わ

たしもしらなかった。いま聞くのが初耳じゃが、加奈さんと静馬という男の仲が怪しいっ

てことは、いろいろ親戚中にふれまわっていたようじゃな。しかし……」

「しかし……?」

 と、なじるような慎吾の語気には、鋭く、かつきびしいものがあった。

「ああ、いや」

 と、天坊元子爵はギコチなく空から咳ぜきをすると、

「そのことをわたしゃ単なるヤキモチ……すなわち、辰人の加奈さんにたいするヤキモチ

だろうというふうに、とっていたんじゃが……」

「ヤキモチとおっしゃると……?」

 と、金田一耕助の声もそうとうきびしいものがある。

「つまり、そのなんだ。あんまり一人さんが加奈さんを可愛がるもんだから、もし、加奈

さんに子供でもうまれたら、そのほうへ寵ちよう愛あいがうつってしまって、財産なんか

もとられてしまやあせんかと、それを取り越し苦労していたんだあね」

「それはあの当時、有名な話でしたね」

 と、そばからひややかに言葉をはさんだのは柳町善衛である。この男は音楽家というよ

り、どこか哲学者みたいなところがあり、態度も言葉もひややかだった。

「ああ、そう、あなたも当時の辰人さんをご存じだったわけですね」

 金田一耕助はくるりとそのほうへふりかえった。

「はあ、ぼく、学習院時代、辰人君より二級下だったんですがね。姉が辰人君のお父さん

のところへお嫁にいっていらい、辰人君はぼくのことをまともに名前を呼ばないんです。

穀ごくつぶし、穀つぶしっていうんですね。あっはっは、柳町の家が姉の縁故で、辰人君

のお父さんから、財政的に援助をうけていたもんだから、辰人君にそういわれても一言も

なかったわけですが、しかし、弱ったことは弱りましたね」

 善衛は眼鏡の奥で笑っているが、しかし、その声には苦いものでものみくだすような調

子があった。

「柳町さん」

 と、慎吾は落ち着きを取りもどして、

「あなたはひょっとすると、わたしの家内の娘時分をご存じじゃありませんか」

「はあ、あの、それはもちろん……おなじ学習院でしたし、それになにしろ、あのとおり

きれいなかたですから」

「そうそう、柳町君」

 と、天坊邦武がひとのよさそうな顔色で、

「倭文子……いや、こちらの倭文子さんははじめ、君んとこへお嫁にいくはずだったん

じゃなかったのかね」

 柳町善衛はしばらく言葉をかみころしていたのち、

「天坊さん、つまらないことおっしゃるものじゃありませんよ。だれがうちみたいな穀つ

ぶしのところへ、来たがるやつがあるもんですか」

「そりゃあそうだな。誰だって穀つぶしの家よりも、まだしも食いつぶされる穀をもって

るとこへいきたいのは人情だあね。あっはっは」

 金田一耕助はそのとき、よほど注意ぶかく篠崎慎吾のようすを観察していたのだが、か

れはまず、この男の意志のつよさに舌をまいて驚嘆せずにはいられなかった。いま、話題

にのぼっているのは慎吾の妻のことである。しかも、その評判はあんまりかんばしいもの

とはいえないのだが、かれはそれを聞いても眉ひとつ動かすのではなかった。

 さっきからかれはまじまじと、馬車のうえにいる辰人の死体をながめていたが、やがて

ふしぎそうに金田一耕助のほうをふりかえった。

「金田一先生、辰人さんは左の腕をどうしたんでしょうねえ。洋服の左の袖が、いやにヒ

ラヒラしているようだが……」

 金田一耕助はそれをきくと、にっこりわらって頭をさげた。

「やあ、とうとうおっしゃってくださいましたね。ぼくさっきから、だれかがそれをいっ

てくださるのをお待ちしていたんですよ。どうも少し……」

 そこへやっと警官たちが駆けつけてきたので、金田一耕助はそれきり言葉をのみこん

だ。


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