金田一耕助は天井の電球にやった眼を、もういちどそっちのほうにふりむけた。まえに
もいったとおり、この天井には縦横に鉄骨が走っているが、ちょうど馬車の上あたりに、
入口と平行に走っている鉄骨の、むかって左の端に滑車がぶら下がっている。滑車には
ロープが巻きついており、ロープの先端は輪になって天井からぶらさがっている。
滑車に巻きついたロープの他の端は、斜直線をえがいて床へおりているが、そこにもう
ひとつの滑車が、入り口からむかって左の壁の中央の、ちょうど人間の腰の高さに取りつ
けてあり、その滑車は鉤の手にまがった鉄の把とつ手てで、回転させるようになってい
る。ロープはその滑車にまきついたのち、壁に打ちつけたボルトでとめてあり、さらにあ
まったロープが、床のうえに正確な円をえがいて積んであるのだが、そのロープの上層部
が大きく崩れて、床のうえに不規則な輪となって、幾重にも垂れさがっているのである。
「刑事さん」
と、金田一耕助はぎょっとしたような眼を刑事にむけて、
「あなたが仕込み杖を発見なすったのは、そこにとぐろを巻いている、ロープの下だった
んですか」
「そうです、そうです」
「と、すると、仕込み杖がそこにおかれてから、だれかこの滑車を使ったものがあるので
しょうか」
「さあ、それですよ、金田一先生。わたしもいまそれを考えていたところですがね。それ
にもうひとつ、ここに妙なものがあるんです」
短く刈った髪に白いものが混じっているが、陽ひに焼けて、瘦身ながら、見るからに頑
がん健けんそうな体格をした老刑事は、いまいましそうに舌打ちしながら、床にこぼれた
ロープの下のものをけっていた。それは砂袋であった。ちょうど拳闘選手が練習用に使用
する、サンド・バッグみたいなものだが、さいわいそこに台秤があったので測ってみると
重さは約二十貫である。
「それから金田一先生、このマドロス・パイプはだれのものなんです? これ被害者のも
のなんですかね」
井川老刑事がハンカチのうえにのっけてみせたのは、柄のところでまっぷたつに折れた
マドロス・パイプである。
「こいつあきらかに馬車の車輪に踏みにじられて、これ、このとおり、まっぷたつに折れ
たにちがいねえ。と、すると、馬車がここへ帰ってくるまえから、落ちていたものにちが
いありませんが、被害者のものでないとすると犯人のものか。……しかし、こんなややこ
しい殺しをするやつが、こんな大事な証拠の品をおいていくはずがありませんしな」
さすが老練なこの古ふる狸だぬきも、馬車を見上げ、滑車を仰ぎ、いささか途方にくれ
た面持ちだった。
「それにしても金田一先生」
と、田原警部補もがらんとした倉庫のなかを見まわしながら、ため息まじりにつぶやい
た。
「古館氏はなんだって、左の腕を胴のまわりに縛りつけて、片腕男のまねをしていたんで
しょうね」
死体はもう解剖のために運び出されていて、鑑識の連中も引きあげてしまい、あとには
数名の捜査員が黙々として、倉庫の内外を調べている。
「いや、そのことですがねえ」
金田一耕助は悩ましげな眼をして、
「これはいままで申し上げるひまがなかったのですが、ここにひとつ妙な話があるんです
がねえ」
と、さっき名琅荘の外の雑木林のなかで見た、片腕男の話をすると、田原警部補は大き
く眼をみはった。井川老刑事もそばへ寄ってきて、
「金田一先生、それじゃそれがあの被害者だったとおっしゃるんで?」
「いや、そうはっきりとは申せません。かなり距離があったし、それに後ろ姿を見ただけ
でしたからな。ただ左の腕が妙にヒラヒラしているのが印象に残ったんです。しかし、
……」
「しかし……?」
「はあ、そういえば黒っぽい背広のしたから、トックリ・セーターの首らしきものが、の
ぞいているのが見えましたよ」
「じゃ、やっぱり被害者だったとおっしゃるんで?」
「そのことについちゃ、御者にも聞いてごらんなさい。御者もその姿を見ているんです」
そうだ、そういえば譲治はあのとき、なんだかひじょうに驚いたふうだったが、あれは
どういうわけだろう。金田一耕助はふっと怪しい胸騒ぎを感じたが、しかし、ここではわ
ざとその点には触れなかった。