「そのとき、君はその男の左腕がないことに気がついていたんだね」
「はあ、それはもちろん」
「そのことを、御隠居さんに名刺を取り次いだときいわなかったのかね」
「だって、そんな失礼なことを……、そのかた旦那様のご懇意なかたでいらっしゃるとい
うお話でございますし……」
「ああ、いや、タマ子さん」
と、そばから金田一耕助がとりなすように、
「主任さんはそのことについて、君をとがめてるんじゃないんだよ。ただ、御隠居さんに
いったかいわなかったかってことをたずねていらっしゃるんだ」
「はあ、あの、それは申し上げませんでした。あとになって……そのかたのお姿が見えな
くなってから、どういうかただったとおたずねがございましたので、はじめて片腕のない
かたでいらっしゃったと申し上げたのでございます」
「そのときの御隠居さんのようすはどうだった? びっくりしてた?」
「はあ、なんだかとっても。このことは絶対に他言してはならぬと、固くお口止めがござ
いました」
「しかし、君はそのことを譲治君にしゃべったんだね」
「ええ……いけなかったんでしょうか」
「いや、いいんだ。いいんだ。それでは主任さん、あなたからどうぞ」
「はあ、それでタマ子君、君、その男の人相憶おぼえているだろうね」
「はあ、でも、ほんのちょっとお眼にかかっただけですから……でも憶えてるだけのこと
を申し上げますと、黒い鳥打ち帽子に、大きな黒眼鏡をかけ、感冒よけの黒いマスクをか
けていらっしゃいました。それですからお言葉がハッキリしませんで……お年ごろももう
ひとつ……」
「ああ、そう、それではもうひとつ聞くが、君、きょうここで殺された古館辰人というひ
とに会ったろう」
「はあ、さっき死骸……いえ、あのお亡なき骸がらを運びだすとき、お巡りさんの命令で
顔を拝見いたしましたけれど……あれなにか……?」
そのときのことを思い出したのか、タマ子の眼に恐怖の色が走った。
「いや、ひょっとすると、そのひとじゃなかったかと思ってね。その片腕の男というの
が……」
「まあ!」
と、タマ子は眼をすぼめて警部補の顔を凝視していたが、やがて頭を強く左右にふる
と、
「いいえ、そんなことは絶対に! 古館様ならば、きのうお見えになりましたときもお眼
にかかりましたが、あのかたはほんとうに華きや奢しやなかたでいらっしゃいますわね。
お身み丈たけも五尺四寸くらいじゃございません? ところが金曜日の夕方いらしたかた
は、もう少しがっちりとしたおからだで、お身丈なんかも、五尺六寸くらいはおありのよ
うにお見受けしたんですけれど……」
「ああ、そう、それじゃ絶対だね。だけど、そうするといまこの家にいるひとで、片腕の
男に相当するような人物に思いあたらないかね。いまこの家にいる男子といえば、旦那様
に天坊さん、柳町さんに、秘書の奥村君の四人だが、四人とも会ってることは会ってるん
だろう」
「さあ、いっこうに……天坊様でないことだけは確かですけれど……」
「ああ、そう、それでは金田一先生、あなたなにか……」
「それじゃ、タマ子君にたいへん失礼なことをきくようだけどね。君、近視何度なの?」
「あら!」
とつぜん、タマ子は全身に火がついたようにまっかになるとともに、顔面筋肉が収縮し
て、いまにもベソをかきそうな顔色になった。
「ああ、ごめん、ごめん、いいんだよ、いいんだよ、タマ子君。御隠居さんはそれも承知
のうえで君を選んだんだろうからね。それじゃ、すまないけどむこうへいったら、陽子お
嬢さまにこちらへくるようにいってくれませんか」
両手で顔をおおうて、逃げるように出ていくタマ子のうしろ姿を見送っていた田原警部
補は、その強い視線を金田一耕助のほうへもどすと、
「金田一先生、それじゃお糸ばあさんは、タマ子を近眼としっていて、片腕の男がやって
きたとき、玄関へ出るように命じたとおっしゃるんですか」
「あるいはしからんですね。あの娘の近視、そうとう度が強そうじゃありませんか」
「そうすると、先生」
と、そばから体を乗りだしたのはタマ子の供述を速記していた若い屈強の小山刑事であ
る。
「お糸ばあさんはその片腕の男をしってるとおっしゃるんですか」
「それまた、あるいはしからんですね」
「そうです、そうです、主任さん、全然しらぬ人間を抜け穴のある部屋へ通すというのは
おかしい。こいつはよっぽど気いつけておらんと、あのくそったればばあに一杯食わされ
ますぜ」
と、そういきまいたのは井川老刑事である。それについて田原警部補が、金田一耕助の
意見を聞こうとしているところへ入ってきたのは陽子である。