「ああ、いや、お嬢さん、まさかそんなことは……」
と、田原警部補はそばでメモをとっている、小山刑事や井川老刑事と眼を見交わせなが
ら、
「それより、それからあとの話を聞かせてください。抜け穴を抜けたのが三時ちょっと過
ぎだとおっしゃいましたね。それから……?」
「あら、ごめんなさい。話が横道へそれてしまって……さて、抜け穴を抜けるとそこが問
題の倉庫……倉庫のすぐそばでございますわね。ところがあの倉庫のすぐそばに、蜜柑山
や雑木林へつづく裏門があるのを、みなさんもお気づきになっていらっしゃると思います
けれど、片腕の男はきっとこの抜け穴をぬけて、裏門から出ていったにちがいないと、奥
村さんとふたりで、裏門の締まりをみにいったんですの。そしたら……」
「そしたら……?」
「はあ、戸締まりはおろか裏門はあけっぱなしになっておりまして、向こうからぶらぶら
と柳町さまが、マドロス・パイプを吹かせながら帰っていらっしゃいましたの」
「柳町さんが……? 柳町さんはなんだって、そんなところを歩いていたんでしょう」
「ほっほっほ、そんなことあのかたのお勝手……と、申し上げてもよろしいんですけれ
ど、じつは柳町さまがどうしてそこにいらしたのか、われわれには一いち目もく瞭りよう
然ぜんだったんですの」
「と、おっしゃるのは……?」
「柳町さまのズボンの裾すそがぬれていて、ルパシカのあちこちに、蜘く蛛もの巣やなん
かがひっかかっていたものですから」
「あっ!」
と、いいたい叫び声を田原警部補はかみ殺して、
「それじゃ、柳町さんもその抜け穴をぬけて……」
「はあ、あのかたにとっても気になる人物ですわねえ、片腕の怪人というのは……」
「そうすると、柳町さんもその抜け穴というのをご存じなんですな」
と、たまりかねたようにそばから嘴くちばしをさしはさんだのは井川老刑事である。老
刑事の古狸のような眼に奇妙な輝きがもえている。
「それは……だって、あのかたのお姉さまがこの家の女主人でいらしたんですもの。ちょ
うどあのかたが中学生時分で、よくお友だちをつれてきて、抜け穴ごっこやなんかして、
お糸さんに叱られなすったそうです」
「なるほど、すると柳町さんのほうが、陽子さんなんかより一足さきに、その抜け穴を
通ったというわけですか」
「ええ、そういうことになるんですのね。お互いに体にくっついた蜘蛛の巣を笑いあった
んですの」
「なるほど、なるほど、それから……?」
「はあ、それから、倉庫のなかをちょっとのぞいて、こちらへ帰ってきました」
「なぜ倉庫の中をのぞいたんですか」
「はあ、それはこういうわけでした。柳町さまにとっては、ここは懐しい思い出に包まれ
ているところなんですわね。あのかたは財産税やなんかで寸断されるまえの名琅荘をしっ
てらっしゃるわけです。ですから、昔はもう今時分になると、この倉庫なんかも蜜柑の箱
がぎっちり詰まっていたもんだとおっしゃって、三人ともちょっとなかへ入ってみたんで
す」
「そのとき、倉庫のなかに変わったことは……?」
「いえ、べつに……?」
「陽子さん、正確にいってそれ何時ごろのことかわかりませんか」
金田一耕助の声が、妙に咽の喉どにひっかかっているようなのに気がついて、陽子はそ
のほうへ視線をむけると、
「じつはあたし祠を抜け出したとき、思わず腕時計を見たんですの。抜け穴を抜けるの
に、何分かかったかと思ったもんですからね。三時六分でした」
「と、すると倉庫の中へ入っていかれたのは……?」
「三時八分か九分ということになるのではないでしょうか。そうそう、そのことなら速水
さんにお聞きになったら……? あたしたちが倉庫から出てきたとき、あの人が馬車を引
いて帰ってきましたから」
田原警部補と井川老刑事は、いそいで自分たちのメモに眼を落とし、小山刑事は速記録
を引っ繰り返していた。だいたい譲治の供述と一致するようである。