「そういうことでございますわなあ。それですから気をつけて降りてごろうじませ。途中
にそれとそっくりの煉瓦の壁がございますぞな。しかし、それは外からは絶対に開かぬ仕
掛けになっておりますけん、どうぞそのおつもりでな」
金田一耕助はなんとなく、わき起こる不安をおさえることができなかったが、それはと
もかく、天坊邦武というおもわぬ邪魔が入ったので、一同が抜け穴へ潜り込んだのは十一
時二十分のことである。いよいよ抜け穴から中へ潜り込むまえ、金田一耕助はお糸さんを
振り返って、
「お糸さん、たしか午前九時十五分富士駅発の上りがございましたね」
「はあ、それがなにか……?」
「ぼくあすの朝その汽車で、東京へ帰りたいと思うのですが、ひとつそういうふうにご配
慮ねがえませんか」
「なんですって?」
井川老刑事が聞きとがめて、
「金田一先生はこういう事件をおっぽり出して、東京へかえるんですかい」
「はあ、まさかこんな事件が起ころうとは思いませんでしたから、あちらにちょっとした
仕事が残ってるんです」
「金田一先生」
そばから田原警部補がおだやかに言葉をはさんで、
「先生はこのままこの事件から、手を引いてしまわれるんじゃないでしょうねえ」
「いや、よかったらこののちともに、お手伝いさせていただきたいとは思ってるんです
が……篠崎さんもそれを希望してらっしゃるようですから」
「それでいつこちらへお帰りになります」
「明後日の夕方までには、帰ってきたいと思いますが……もっとも、それまでに事件が解
決してるかもしれませんね」
「金田一先生」
井川老刑事が例によって狸のような目玉をくりくりさせながら、
「抜け駆けの功名はいけませんぜ。あんた東京でなにか調べてくるつもりでしょうが、わ
かったことがあったら、われわれにも報らせてくださいよ」
「はっはっは。井川さん、こんどの事件の根底は、そうとう深いと思わなきゃなりません
ね。ぼくがいちにちやそこいら、駆けずりまわったところで、真相が判明するなんてもの
じゃないでしょう。では、お糸さん、いまいったことお願いします。篠崎さんには了解を
求めておきましたから」
「承知いたしました」
こうして一同が抜け穴の中へ潜り込んだのが、さっきもいったとおり十一時二十分。
まず先頭は一番若い小山刑事、それにつづいて井川老刑事、田原警部補のあとから金田
一耕助がつづいたが、みんなてんでに懐中電灯をふりかざし、手拭いで頰かぶりをした
り、ハンカチや風呂敷きで鼻孔をおおうことを忘れなかったのは、主として篠崎慎吾の注
意によるものである。
マントルピースの裏側には三尺四方の縦孔が垂直に落下しており、そこにさびついた鉄
の梯はし子ごが取りつけてある。それはどうやら暖炉の煙突の側面に取りつけてあるらし
い。
「気をつけてくださいよ。旦那様のお話では、ずいぶん危なっかしくなっているそうでご
ざいますけんな」
マントルピースから下をのぞきこみながら、お糸さんが四人の頭上から声援を送った。
一番殿しんがりに立った金田一耕助が、何気なく上を振り仰ぐと、お糸さんの顔がすぐ
眼の上にあった。彼女はあわてて顔をそむけたが、その瞬間金田一耕助は、なにかしら
ハッとするようなものを感じずにはいられなかった。巾着のようにすぼめたお糸さんの口
許に、奇妙な微笑がうかんでいるのを、一瞬見てとったからである。
「お糸さん」
「は、はあ……なにか御用でも……?」
お糸さんはバツが悪そうに、眼をシワシワさせながら、そらとぼけるのはうまいもので
ある。
「天坊さんのことですがね」
「はあ、天坊さんがなにか……?」
「ちょっといって様子を見てあげてくださいませんか。なにか気になりますから」
あとから思えばこういうのを、虫が知らせるというのであろうか。