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第十三章 ああ無残 一(1)
日期:2023-12-28 13:58  点击:241

第十三章  ああ無残

    一

 井川刑事は約束の午後二時ジャストに、ダリヤの間から抜け穴へもぐり込んだのであ

る。一行は江藤刑事と県の警察本部から応援にきた私服とつごう三人である。

 例によって暖炉の入り口までお糸さんが送ってきた。篠崎慎吾と倭文子の姿はみえな

かった。倭文子の先夫古館辰人の奇妙な最期と、その後の事件の意外な推移進展は、夫婦

のあいだに微妙な亀裂を生じたらしく、かれらはたがいに相手を避けているようである。

ことに倭文子の態度にはあきらかに、思いつめたらなにをやりだすかわからない、この夫

にたいする怖れがうかがわれた。

「それにしても刑事さん、タマ子がこの抜け穴のなかにいるとすれば、生きているんでご

ざいましょうか。それとも……」

 お糸さんの顔にはもう、あのひとを食ったような空っとぼけの色はみえなかった。彼女

は小さいからだをよじるようにして、タマ子の身を案じているのである。それにたいする

老刑事の口調にも、いままでのような嘲ちよう弄ろうのひびきはもうなかった。

「まあ、そうキナキナしなさんな。タマ子がこの抜け穴のなかにいるという保証はどこに

もないんだ。あの子あんまり怖いことがつづくので、名琅荘から逃げ出したのかもしれね

えな」

「そんなはずはございません。あの子はどこにもいくところのない娘ですし、譲治をおい

て逃げ出すはずがございません。あの子は譲治に首ったけなんでございますけんな」

「まあ、いいや。いまにわかることだ。だけどお糸さんにいっとくがな。われわれがこの

抜け穴を探検するのは、かならずしもタマ子のことだけじゃないんだ。柳町さんの言葉が

ほんとかどうか、それを験ためしてみるのがもうひとつの目的なんだ。なあに、タマ子は

いまにどっかから、パーッととび出してくるだろうぜ。あっはっは」

 しかし、そういう井川老刑事も自信がなかった。

「ほんとにそれならよろしいんですけれど……」

「じゃいってくるぜ」

 これだけの押し問答だけでも約束の時間より数分おくれた。

 しかも、この三人のなかで抜け穴の内部をしっているのは、井川刑事だけである。いき

おいこの老刑事が先頭にたったのが、それ以後の計画をくるわせてしまったのである。

「じゃいくよ。みんなあとからついて来い。あんまり口をきくんじゃねえぞ」

 老刑事は片手に懐中電灯をふりかざし、片手と片脚で鉄てつ梯ばし子ごにとりすがりな

がら、垂直に落下しているまっ暗な縦穴を、一歩一歩降りていった。まもなく井川刑事は

慎吾の部屋の外まできた。ちょっと立ちどまって壁のむこうに耳をすましたが、部屋のな

かにはひとの気配はかんじられなかった。

「やっこさん、なにをしているのかな」

 つぶやきながら井川刑事はまた降りはじめた。すぐうえから降りてきた江藤刑事の足

が、鉄梯子にとっつかまった老刑事の手を、踏んづけそうになったからである。

「やあ、失敬失敬。ぐずぐずしていてすまなかった。この壁のむこうがこの家のご亭主の

部屋なんで、ちょっとようすをうかがっていたんだ。おまえたちはそんなことにはかまわ

ねえで、ドンドン降りてこい」

 井川刑事はそれから三段ほど降りていったが、そのとき信じられないようなことがそこ

に起こった。

 老刑事の右手は横にわたされた鉄梯子の鉄棒をしっかり握っており、老刑事の片脚はお

なじく鉄棒を踏まえているにもかかわらず、そのからだは急速にまっ暗な縦穴の底へ落下

していった。そこから縦穴の底まではまだ三間ちかくもある。漆うるしのような闇やみの

底から、悲鳴と、おもい地響きと、金属のふれあい、激突し、砕けちる音をきいて、江藤

刑事は鉄梯子のとちゅうで立ちすくんだ。

「おやじさん、ど、ど、どうしたんだ。だ、大丈夫かあ」

 縦穴の底はまっ暗で返事もなかった。

「江藤さん、ど、どうしたんです。いまの物音はなんです。井川のおやじさん、どうかし

たんですか」


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