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第十三章 ああ無残 一(4)
日期:2023-12-28 14:01  点击:220

 それが何者にしろ烏う羽ば玉たまの夜の地下道をうごめく影。しかもこの名琅荘はゆう

べから、警官隊によって包囲されているのもおなじことなのだ。その監視の眼をかいくぐ

り、闇から闇へとさまよう人物。しかも、そいつが鉄梯子にもああいう細工をしたとした

ら、そいつはよっぽど思いつめ、デスペレートになっているにちがいない。そこに思い当

たると、この屈強の三人の刑事がふるえあがったのもむりはない。

「おやじさん、それここの亭主の篠崎慎吾じゃねえんですか。この鉄梯子のすぐうえにゃ

篠崎慎吾の部屋の抜け穴がある……」

「そう、あの男なら地理的条件はいちばん適かなっている」

 しかし、条件が適いすぎているということが、この経験派の刑事にも気に入らなくなっ

てきている。すべての条件が篠崎慎吾をクロと指さしているようにみえている。そういう

ときには慎重にことを運ばなければならないのだということくらいは、この老巧な刑事は

みずからの経験によってしっている。

「まあ、いいさ、いずれはこの抜け穴の暗闇にうごめくチミモウリョウが、だれであるか

首っ根っこをおさえてやる」

 老刑事はそこで急に気がついたように、

「おっ、そうだ。こんなところでぐずぐずしている場合じゃねえ。さあ、いこう」

「おやじさん、この暗闇のなかをいくんですか」

 底しれぬ闇に懐中電灯の光をむけながら、江藤刑事が心細そうな声をあげたのもむりは

ない。乏しい光のなかに浮かびあがった光景は、だれの眼にも快適な行楽地とはみえな

かった。ことにいまのような変事があったあとでは。

「なんだ、てめえ臆病風にふかれやアがったのか。じゃおれについて来い。約束の時間に

だいぶん遅れてるんだ。急がなきゃ……」

 井川刑事はせかせかとさきに立っていきかけたが、とつぜん、

「痛ッ、タ、タ、タ、畜生ッ」

 と、からだをねじ曲げてその場につくばった。

「お、おやじさん、ど、どうしたんです」

「なあに、さっき鉄梯子ごとここへぶっつけられたとき、右脚首を捻ねん挫ざしたらし

い」

「だ、大丈夫ですか、おやじさん」

「大丈夫、大丈夫、なあに、これしきの捻挫、あとで湿布すればすぐ治らあ」

 しかし、やっこらさと立ち上がって、跛びつこひきひきいくすがたはだれの眼にもいた

いたしかった。

「おやじさん、先頭はぼくにかわらせてください。あんたはすぐぼくのあとからついてき

て、いろいろさしずしてくださればいいんです」

「ああ、そうか、久保田てめえ、なかなか威勢がいいじゃねえか。じゃ、そうしろ。江

藤、てめえはしんがりを勤めろ。しんがりはおっかねえぞ。いつなんどき、うしろから、

チミモウリョウがとびかかってくるかもしんねえかんな。うっふっふ」

 井川刑事もゆうべのことがあるから、できるだけ声をおさえるようにしているのであ

る。それが暗闇のなかで妙な迫真性をもって迫ってくるのだが、江藤刑事は動じなかっ

た。

「からかわないでくださいよ。わたしはなにもそれほど怖がっているわけじゃねえんです

からね。だけど、おやじさんはくせものがまだこの地下道のなかにいると思ってるんです

かあ」

「まさか。そうそう、久保ちゃん、おまえに注意しておく」

「はあ、どういうことですか」

「チミモウリョウはおそらくもう退散しているだろうが、この抜け穴すっかりガタがきて

いて、ちょっとした震動でも煉瓦がくずれてくる。だから大声を出してもいけねえし、と

び上がったりするのは禁物だぜ」

「へえ、この地下道そんなにヤバいんですか」

「足下に気をつけていってみろ。いたるところに煉瓦がくずれ落ちている。じつはゆうべ

おれがやぼな声を出したんだからな」

「あっはっは、おやじさん、おっかながって悲鳴をあげたんですかい」

「ばかあいえ! てめえじゃあるめえし……」

 井川刑事はおもわず一喝したが、その語尾は口のなかで消えてしまった。そのとたん

二、三枚の煉瓦がガラガラとくずれ落ちてきたからである。一同はおもわずシーンと立ち

すくんだが、やがて井川刑事が舌打ちして、

「そおれみろ。これがいい実物教育だ。だけどおれの声は大きくていけねえな」

「いまごろ気がついてりゃ世話はねえ。だけど久保ちゃん、おれ生き埋めになるのはいや

だから、ひとつ静粛にご行進ねがいますだ」

「承知しました。じゃ鞭べん声せい粛々夜河を渡るといきますか」

「うっふ、お若いの。おめえなかなか落ちついてるじゃねえか」

「こんなこと前線でたびたび経験してますからね。よく斥せつ候こうにつかわれたもんで

す」

「なあんだ、おまはん兵隊くずれか」

「くずれはないでしょう。これでも久保田一等兵、勇敢な帝国軍人だったんであります。

あれ」

「ど、どうした、どうした」

「ほら、ここにおやじさんが蛮声を張り上げた遺跡がありますぜ」

 懐中電灯に照らしだされた足下には、なるほどうずたかい煉瓦の堆積である。

「おいおい、お若いの、年寄りに恥をかかせるもんじゃねえ。さあ、いったり、いった

り」

「うっふっふ、さてはおやじさん、だいぶん主任さんにカス食ったな」

「なあに、あのひとは穏やかなひとだから大したこたあねえが、金田一耕助という野郎が

たしなめやアがった。あの野郎、あれで名探偵なのかよう」

 しばらくいくとまた久保田刑事が足をとめて、足下を調べている。こんどは念入りに腰

をかがめて、地下道の床を調べているから、

「おい、お若いの、てめえまたおれに恥をかかせる気か」

「いや、先輩、そうじゃありません。これなにか引きずった跡じゃありませんか」

「なに……?」


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07/06 06:57