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第十三章 ああ無残 二(1)
日期:2023-12-28 14:03  点击:265

 この地下道の床はところによってさまざまな変化をみせているが、そこはちょうど床に

しいた煉瓦が摩滅して、一部浅い水たまりになっており、水たまりの底にはくろい泥がよ

どんでいる。その泥のなかにふた筋の跡がくっきりとついている。

「お、おやじさん、ゆうべはこんなもんなかったんですか」

「いいや、気がつかなかった。だけどこれだけハッキリついていりゃ、だれかが気がつか

なきゃいけねえはずだ。みんな足下ばかり見て歩いていたんだからな」

「先輩、これはあの縦穴のほうから引きずってきたんですぜ。ほら水たまりのこっちのほ

うにはついてませんが、むこうのほうに泥の跡がふた筋つづいてますから……」

「だけどこれなにを引きずった跡だろう」

「先輩、こういうことをいうと、空想力が発達しすぎると叱られるかもしれませんが、こ

れ人間の体を引きずったんじゃありませんか。このふた筋のはばは二本の脚の跡じゃ

……」

 しかし、だれも久保田刑事の空想力を叱るものはなかった。泥のうえに身をかがめたま

ま、三人はしばらく黙って顔見合わせていたが、

「おい、どっかに血の跡はねえか」

 血の跡はどこにもなかった。

「ようし、この跡をつけてみろ。いや、ちょっと待て。ここいらで怒鳴ることになってい

たんだが、鬼の岩屋へはいっていった連中はどうしたんだろう」

「先輩、ぼくが怒鳴ってみましょうか」

「うん、頼まあ」

「なんといえばいいんですか」

「主任さあん、われわれ抜け穴のなかにいますよう。聞こえますかあ……とでも怒鳴って

みろ。しかし、気をつけろ。トンネルが崩壊するかもしれねえかんな」

「あんまり脅かさんでくださいよ。じゃ、やってみますか」

 両手で口にかこいをして深呼吸一番、いままさに発声しようとして、久保田刑事はおや

というふうに首をかしげた。

「お若いの、どうしたい、なぜ……」

 井川刑事がいいかけるのを、しっと制止した久保田刑事は、

「先輩、聞こえませんか。だれかが叫んでますぜ。あれ、女の声じゃありませんか」

「ばかあいえ。あっちの探検隊にも女ははいってねえ……」

「しっ、おやじさん黙りなさい。久保ちゃんのいうとおり、あれたしかに女の声だ」

 そうだ。たしかに女の声である。絹を裂くようなという形容は月並みだが、鋭く甲高い

女の悲鳴のようなものが、あちこちの壁に反響しながら、陰々として闇の底からきこえて

くる。さいごの谺こだまが語尾をふるわせて消えていったとき、また新しい悲鳴が起こっ

た。

「おやじさん、あれ助けを求めているんじゃないですか」

「タマ子だ! タマ子が生きているんだ!」

 だが、井川刑事は急ぐことができなかった。二、三歩歩いてよろめきつまずき、自分の

脚を呪のろっているとき、江藤刑事が風のようにすり抜けていった。

「おやじさん、あんたあとからゆっくり来てください。ぼくはあの若僧といっしょにいっ

てみます」

 そのとき三たび悲鳴がきこえ、久保田刑事はものをもいわずはや前進を開始していた。

この際、この若い刑事の行動力がひどくたのもしく思われたが、しかし、ふたりとも駆け

出すわけにはいかなかった。懐中電灯の光芒以外はすべて塗りつぶされた闇である。しか

も、あとから追ってくる井川刑事にしてからが、この地下道がどういうふうに曲折してい

るかを教えることができなかった。ゆうべいっぺん通り抜けたくらいで、その全ぜん貌ぼ

うがわかるほど単純な地下道ではなかったのである。


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