日语学习网
第十三章 ああ無残 二(2)
日期:2023-12-28 14:03  点击:250

 きれぎれの女の悲鳴はむこうにむかって走っているらしい。その声の出どころからし

て、こけつまろびつというかんじである。

「だれだ! 女! 止まれ! 止まらぬと撃つぞ!」

 たまりかねて久保田刑事が大声をはりあげてわめいたが、そのとたんさすが勇猛果敢な

この刑事も、おもわずその場に立ちすくんだ。言下に崩壊が起こって数個の煉瓦がくずれ

落ちてきて、その一個は刑事の肩をつよく打って足下にころがった。

「どうした。大丈夫か」

 あとから近づいてきた江藤刑事と見合わせた、久保田刑事の顔はさすがに蒼あお白じろ

んで硬直している。声をふるわせて、

「先輩のいったのはこれなんですね」

「そうだ。このトンネルはいまや崩壊一歩手前らしい。とにかく急ごう。だけど駆け出す

な。地響きで天井が落っこってくるかもしれんぜ」

「おっかないですね」

「うん、おっかない。悪くすると生き埋めだぜ」

「先輩は……?」

「おやじさんはいい。あとから追っかけてくるだろう。だけどさっきの悲鳴は……?」

 悲鳴はもうきこえなかった。そのことが地下道のなかの暗闇と静寂を、いっそう重っ苦

しいものにしている。

 だれかがこのトンネルのなかを死体を……それは死体としか考えようがないではない

か……引きずっていったのだ。二本の筋はいまもなおところどころにのこっている。しか

も、さっきの女の悲鳴は……?

 ふたりは一歩一歩に注意しながら、たゆみなく歩みつづける。全身の神経が針となって

緊張している。

 腕時計の針はかれこれ二時三十分を示していた。鉄梯子の落下という事故があったにし

ろ、もうトンネルの半ばまできているはずだ。別動隊はどうしたのだろうか。むこうにも

なにか事故があったのか。それとも鬼の岩屋とこの地下道がどこかで交錯しているという

のは、柳町善衛のあらぬ幻想だったのだろうか。

 とつぜん久保田刑事が立ちどまって、ギョッとしたようにあとからやってきた江藤刑事

の腕をつかんだ。

「ど、どうしたんだ、なにか……?」

 久保田刑事は無言のまま、懐中電灯の光を二間ほど前方の壁の下部にさしむけた。そこ

は地下道の右側の壁で、トンネルはそこから六十度ほどの角度をえがいて左のほうに曲折

しているのだが、その下部の煉瓦が二、三個ずつセメントづけにされたまま、むこうがわ

からつきくずされていく。

「だ、だれだ!」

 久保田刑事が叫びそうになるのを、江藤刑事があわててそばから口に蓋をした。

「だ、黙ってろ。ひょっとすると別動隊の連中かもしれねえぞ」

 煉瓦の壁は二尺四角ほどにつきくずされて、そこから黒い男の頭がヌーッとのぞいた。

男はまだ腹ばいになっているようである。

「だれだ! なんとかいえ。答えないと撃つぞ!」

 こんどは江藤刑事がピストルを身構えながらわめいた。

「撃つな、主任さんもあとからくる」

 全身泥だらけになった譲治はモグラの穴からはい出してくると、物もの凄すごいけんま

くで、

「刑事さん、タマ子は……? タマ子は……?」

「タマ子……? おお、さっき叫んでいた女か。その女ならこっちのほうへは来なかっ

た。むこうへ逃げていったらしい」

 江藤刑事がカーブした前方の闇に懐中電灯の光をむけると、譲治は全身の泥をはらいも

あえず、ポケットから懐中電灯をとりだすと、まっしぐらにカーブのむこうへ駆けこん

だ。


分享到:

顶部
07/06 06:34