譲治は眼を血走らせているがなにもいわず、お糸さんは深尾看護婦のお手伝いに余念が
ない。慎吾は無言のまま眼を閉じていた。
「それで君はあとを追っていったのか」
「ぼくがここへ駆けつけてきたとき、この青年が抜け穴へ潜り込もうとしていたんです。
犯人がピストルを持っているらしいので、ぼくがさきに立って潜り込みました。ほら、犯
人はここからピストルをぶっ放したんですぜ。少し壁が焦げてます」
床脇の地袋のうえの壁にお能の面がひとつかかっている。それは金田一耕助が倭文子の
顔からつねに連想していた小こ面おもてである。
「この面ひじょうに巧妙にできていて、むこうから操作すると両眼が開くようになってい
るんです。この左の眼から狙撃したらしく、壁のうらがわが焦げています」
「それで、君、犯人を追っかけていったのかい」
「いこうとしたんです。この壁のすぐむこうに下へ降りる階段がついてます。その踊り場
までくると、下のほうでズドンという銃声がして、女の悲鳴が聞こえました。いや、女の
悲鳴がさきだったかな。それからつづいて二、三発銃声がしたかと思うと、グヮラグヮラ
グヮラ。その青年がうしろから抱きとめてくれなきゃ、こっちも生き埋めになるところで
した。お気の毒にこちらの奥さん、おそらくだめでしょう。そのかわり犯人のやつ
も……」
久保田刑事は若くてハリキリ型だけれど、まだなにも知ってはいないのである。そうい
えばこの座敷もなんとなく埃ほこりっぽい匂いがしている。
なるほど金田一耕助という男がいて、種明かしをしてくれなければ、われわれも犯人の
ために振りまわされ、まんまと思う壷つぼにはまっていたかもしれないと、田原警部補も
ため息をつかずにいられない。
そこへ奥村秘書の自動車で森本医師が駆けつけてきた。奥村秘書は平服のまま、陽子の
寝室のそばちかく詰めていたのだが、それがまたこの際ものをいったのである。
森本医師はちょっと患者を診察すると、
「なあんだ、案外しっかりしてるじゃないか。秘書君が大げさなことをいうもんだから、
こっちはどんな重態かと肝を冷やしたぜ」
と、携えてきた鞄かばんのなかから必要な器具を取り出すと、
「じゃ、弾た丸まを抜くからさあみんなどいた、どいた」
「じゃ、またのちほど」
金田一耕助が慎吾に挨拶をして寝所を出ると、みんなそれに習ったが、お糸さんだけは
梃てこでも動きそうになかった。
「いいえ、わたしはここにいますぞな。わたしはこのうちのヌシですけんな」
寝所から外へ出ると鑑識のものが待っていた。
「主任さん、これ」
渡されたのは西洋封筒である。
「ああ、そう、ご苦労様」
田原警部補がそれをポケットに突っ込んで、金田一耕助とともに表のフロントへかえっ
てくると、おおぜいの私服や警官が待機している。警部補はそのひとたちに適当な指令を
あたえて立ち去らせると、ポケットから封筒を取り出して封を切った。なかから出てきた
のはハガキ大に引き伸ばされた三枚の写真である。警部補はひととおりそれに眼を通す
と、だまって金田一耕助のほうへ差し出した。
それはどこかの旅館の奥座敷だろう。乱れた夜具のうえにふたりの男女がいるが、あき
らかにそれは辰人と倭文子であった。ふたりとも裸ではなかったが、それにちかい姿であ
る。なかに一枚そのものズバリの写真があるが、それではふたりとも顔がハッキリしてい
ない。それをハッキリさせるために、前後の情景にむかってシャッターが切られたのであ
ろう。