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第十五章  大崩壊 二(4)_迷路荘の惨劇(迷路庄的惨剧)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3336

「そこへお糸さんと譲治君がとびこんできたんですね」

「ええ、そう、あの連中がどうしてあんなに早く、やってきたのかわたしにはわからな

い。ふたりとも頭から蒲団をひっかぶっていたようだったな」

「そのとき奥さんなにかいってませんでしたか。だれかに襲われたとか……」

「そうそう、片腕の男がどうとかしたといってたようだな」

 しかし、慎吾の口調にはなんの感動もなく、その声はむしろ機械的だった。

「結構です。このうえはいちにちも早いご回復をお祈りいたします」

 そのあとでお糸さんと譲治が取り調べられたが、お糸さんはケロリとして、

「わたしはただ旦那様のおそばにいたかっただけのことですぞな。でも、ひとりでは怖う

ございましたので、このひとに付き合うてもろうただけのことでございますがな」

 それ以上は口を割らなかった。

 地下道の発掘が着手されたのは午前八時ごろのことである。町から消防団員や鳶とび職

しよくのひとたちが駆けつけてきて警官隊に協力した。発掘は仁天堂のがわから行われ

た。ダリヤの間の側からでは崩れた瓦が礫れきを運び出しようがなかったからである。

 もちろんそれまでにいくどか倭文子や善衛の名が呼ばれたが、応答らしきものはいちど

もなく、その生存ははじめから危ぶまれていた。

 発掘は遅々として進まなかった。なにしろ狭い地下道のことだし、ちょっとした衝撃に

よってでも、いつなんどきつぎの大崩壊をまねきかねまじき状態だったからである。

 午後二時ごろまず柳町善衛が発掘された。かれの倒れていたところは鼠の陥穽より少し

手前だったそうである。かれは右手にピストルを握っていながら、左肩に銃創をおうてい

た。かれはまだ死んでいなかったので、ただちに名琅荘の一室に運びこまれて、森本医師

の手当てをうけたが、それから二時間ののち息を引きとった。息を引き取るまえかれは枕

ちん頭とうに詰めかけている金田一耕助や田原警部補にむかって、つぎのような告白をし

ていった。

 古館辰人を殺害したのは自分である。自分はあの仕込み杖で辰人を殴打し、昏倒させ、

そのあとでロープで絞め殺したのである。そこへ仁天堂のほうからひとの話し声がきこえ

たので、いったん死体をガラクタ道具のかげに隠しておいて、裏門から外へとび出した。

そしてなに食わぬ顔で散歩しているところへ、陽子と奥村秘書がやってきたので、さりげ

なくふたりを倉庫に導いたのは、そこになにもないことを見せておきたかったのである。

そこへ譲治が馬車をひいてかえってきたので、それから急に思いついて、いったん名琅荘

へかえったのち、陽子や奥村がバスを使っているあいだに、大急ぎで倉庫へ引き返し、あ

あいう工作をしておいたのは、アリバイをより完全にするためであった……と。

 天坊さんやタマ子殺しについても質問されたが、かれはもうそれに答えることができな

かった。以上の告白をするのが精一杯だったらしく、それが終わると意識が混濁しはじめ

て、まもなく息を引き取ったのである。

 思えばこの男にとって人生とは、苦渋にみちたものだったろう。

 倭文子が死体となって発掘されたのは、それからさらに二時間おくれて、午後六時ごろ

のことだった。

 その報をきいて田原警部補とともに駆けつけた金田一耕助は、ひとめその死体を見る

と、あまりの凄せい惨さんさに、慄りつ然ぜんとしてその場に立ちすくんでしまわずには

いられなかった。

 倭文子の死体は鼠の陥穽のなかによこたわっているのだが、その周囲には逃げおくれた

おびただしい数のドブ鼠どもが、うえから左右から照らす数条の懐中電灯の光のなかで、

泥水をはねあげながら駆けずりまわっていた。

 これを発掘したのはあの執念のひと井川刑事であったが、さすが老練なこの老刑事も、

あまりにも凄惨たるこの亡なき骸がらに、茫ぼう然ぜん自失しながらも眼に涙をいっぱい

浮かべていた。おそらくあの哀れなタマ子の遺体を思い出しているのだろう。

 これを思うに鼠の陥穽は、ひと思いに埋没したものではなかったらしい。なにかがつっ

かえ棒になってその下は空洞になっていたのであろう。あの誇り高き倭文子の美び貌ぼう

はもうそこにはなかった。そこにあるのはおびただしいドブ鼠どもにかじられ、かみ裂か

れた肉と血の塊だけだった。ある部分ではもう骨さえのぞいていた。彼女は長なが襦じゆ

袢ばん一枚だったが、はだけた胸にはもう乳房さえなかった。

 さすが屈強な発掘隊のひとびとが、声を失って立ちすくんでいたのもむりはない。

 田原警部補の督励によって、彼女の死体はただちに名琅荘の日本座敷へ移されて、から

だのいろいろな特徴から、それが倭文子にちがいないと確認されたのち、森本医師の検証

をうけた。

 森本医師の検死検案書は世にも恐ろしいものであった。彼女は腕と股に二発の弾丸をう

けていたが、その生命をうばったものはそれらの弾だん痕こんでもなく、また崩壊のため

の打撃でもなかったであろう。彼女の生命をうばったものは、おそらくあのおびただしい

鼠の群れであったろうと聞いたとき、金田一耕助は二度三度、全身をつらぬいて走る戦せ

ん慄りつをおさえることができなかった。

 あの誇り高き女性は生きながらにして、鼠の餌食にされてしまったのである。

 思えばきょうは十月二十日、いまから二十年のその昔、この名琅荘で大惨劇が演じられ

た日である。金田一耕助はそれほど古い人間ではなかったが、それでもなおかつ、古くか

らこの国に伝わる言葉を思い出さずにはいられなかった。

 因果応報。

 金田一耕助はふかいため息とともに、それでもなおかついっぽうでは、安あん堵どの胸

をなでおろさずにはいられなかった。これでもって、さしも世間を騒がせた迷路荘の惨劇

も、終止符を打つであろうと。 分享到:


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