「それはおそらくタマ子の死体を見たからでしょうね。あの見るもむごたらしいタマ子の
死体を見たとき、柳町さんのうけたショックは非常なものだったようです。あの女はそう
することによって、犯人は男であると思わせたかったのでしょうが、男ならばたとえタマ
子を殺しても、その死体を鼠の餌食にしようというほど残酷にはなれませんよ。それがで
きるのはむしろある種の女性でしょう。柳町さんはあの女の性格のなかに、そういう残忍
性があることに、気づいていらしたんじゃないでしょうかねえ」
あの女と発音するとき金田一耕助の声帯は、つつみきれない嫌悪の情ではげしくふるえ
た。かれが扱ってきたどの事件の犯人のなかにも、これほど嫌悪すべき性格はなかったの
ではないか。
「柳町さんに犯人がだれだかわかったとすると、つぎの犠牲者も予想できたわけですね」
「と、いうことでしょうね。しかも、柳町さんにはその犯人を告発することができなかっ
た。かつて婚約者だった女……あるいはたんなる婚約者ではなく、ひそかに愛していた女
だったかもしれない。しかも、同族意識もあったでしょう。その女が世にも残忍な殺人鬼
であるとしったとき、柳町さんは絶望の思いにうちひしがれたんじゃないでしょうか」
「その殺人鬼がこんや亭主といっしょに寝るとしって、そいつを食いとめようと思ったの
かな」
「だと思いますね。柳町さんはもうすでにひとひとり殺しています。いかにきっかけが正
当防衛とはいえね。だからあの女を殺して、自分も死のうというくらいの覚悟はできてい
たかもしれませんね」
「すると、柳町さんは日本座敷へ通ずる抜け穴を知っていたんですね」
「陽子さんですら見当がついたくらいですからね。ましてやしょっちゅうのぞかれてい
た、お姉さんから話をきいていらしたんですからね。知らないほうがおかしなくらいのも
んでしょう」
「するとこういうことですね。柳町さんはさいごの犯罪を阻止するか、こととしだいに
よってはあの女を殺し、自分も自殺するつもりで地下道へ潜り込もうとしたが、ダリヤの
間にも仁天堂のほうにも警官が張り込んでいる。そこでその前夜、譲治のおかげではじめ
てしったモグラの穴から地下道へ抜けた。いっぽう女のほうでは篠崎さんの寝込みを見す
かし、床脇の入り口からそとへ抜け出し、あたかも片腕の男に襲われたかのごとく悲鳴を
あげ、篠崎さんが目を覚まして起きなおったところを狙撃した。結局は失敗したが、篠崎
さんを射殺しておいて、自分はあくまで片腕の男に拉ら致ちされようとしたのであると、
こう見せかけるつもりだったんですね」
「おっしゃるとおりだと思います。いずれピストルはどこかへ隠しておいて、自分は適当
なところで失神しているところを、捜査当局に発見され、救助される……と、こういう筋
書きになっていたんじゃないでしょうか」
「そこへ柳町さんが割り込んできたので、すっかりグレハマになっちまった。ああして柳
町さんも一発くらってるところを見るてえと、犯人はやけのやん八、柳町さんもぶっ殺す
つもりのところ、あべこべにピストルをもぎとられ、二発くらったというわけですな」
「しかも、その衝撃で大落磐が起こったんですから、結局は柳町さんの希望どおりになっ
たというわけでしょう」
金田一耕助はしばらく無言でいたのちに、
「あのピストルは篠崎さん秘蔵のものではなかった。古館氏がどこかから手に入れて当て
がったものか、あの女自身が直接入手したものか、いちおう出所を調査しておかれること
ですね」
「それにしても、金田一先生」
田原警部補は怪け訝げんにたえぬ面持ちで、
「ゆうべ寝所をともにしようといい出したのは、女のほうにちがいないが、篠崎さんがや
すやすその手に乗ったのはどういうわけです。篠崎さんはぜんぜん気がついていなかった
のでしょうか、あの女のことに」
金田一耕助は一同の視線が自分に集まっていることを意識して、深刻な顔をしていた
が、やがてニッコリ白い歯を出してわらうと、
「こればっかりはあのやんちゃ坊主先生も泥を吐きますまいよ。プライドに抵触すること
ですからね。しかし、半信半疑どころか、強い疑惑はもっていたにちがいない。だけどそ
ういう女を妻にえらんだという自己の不明にたいして、大きな挫折感はもっていたにちが
いありませんね。そこからくるどうにでもなれという棄て鉢な気持ちと、もうひとつは相
手がどういう出方をするか、お手並み拝見という、あのひと一流のアドヴェンチュラスな
気持ちと、その両方からだったんじゃないでしょうか。しかし、どっちにしても人騒がせ
な話でした」