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大団円 一(5)_迷路荘の惨劇(迷路庄的惨剧)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3338

「だれ……? そこにいるのは……?」

 陽子は手にした懐中電灯を、くるくる回転させながら金切り声をあげた。悔しいけれど

その声はふるえていた。

「黙っていてもわかってるわよ。あなたがそこにいるということは……いいわよ、このま

まにらめっこをつづけていましょうよ。いまにダリヤの間から潜り込んだ刑事さんたち

が、こっちへやってくるんだから」

 陽子はその反応を待つように、懐中電灯の光の位置を少し動かしてみた、反応はなく、

人間の形らしいものはどこにも現れなかった。

 そこにだれかがいることはたしかなのである。しかも、そのだれかは陽子にも想像され

る人物である。それでいてこうして無言の行を続けているということは、たしかに圧迫で

もあり、苦痛でもあった。陽子はその圧迫に負けたわけではない。むしろ、この際は反対

に、彼女の大胆さが禍わざわいしたともいえるのである。陽子は体力的にその人物より優

れているという自信があった。

 陽子は少しからだを動かしてみた。半開きになっている回転扉のほうへ前進してみた。

反応はなかった。彼女はまた一歩前進してみた。この際、彼女の手にしている懐中電灯の

光によって、自分の動きがいちいち敵に読まれているということを、計算に入れてなかっ

たのは、なんといっても彼女の不覚であった。

 とうとう陽子は直角にひらいている回転扉の、右の空間のすぐそばまでやってきた。彼

女はちょっと呼吸をととのえたのち、その空間へ一歩足を踏みこんだ。こういう場合、人

間の本能として前かがみになり、だれでも首をまえへつき出すものである。

 金田一耕助は後に、それをピストルの台尻ではなかったかと指摘しているのだが、陽子

は後頭部に、強い金属製のものによる打撃をうけて、はげしいショックに眼がくらんだ。

そのとき彼女がまえのめりになって、回転扉のなかへ倒れていたら、彼女もまた一巻の終

わりになっていたのではないかといわれている。しばらく行方不明ののち、彼女もまた鼠

の餌食にされていたかもしれない。

 しかし、人間の警戒体勢というものは恐ろしいもので、陽子はいつでもうしろへ退ける

体形をとっていたらしく、一瞬まえのめりになりかけたが、つぎの瞬間うしろへたたらを

踏んで、地下道の反対側の壁につよく背中をぶっつけた。とたんに四、五枚の煉瓦が落下

してきて、彼女が悲鳴をあげたとしたらそのときだろうといわれている。

 後頭部につよいショックをうけたとき、懐中電灯を取り落としたらしく、それはまだ灯

がついたまま回転扉のむこうにころがっていた。しかし、つぎの瞬間扉がしずかに動きは

じめて、懐中電灯をそのまま抱きこんでしまい、あたりは漆黒の闇にとざされてしまっ

た。そのとき陽子ははっきり悲鳴をあげたのを憶えている。

 彼女はとうとう人の影も見なかったし、匂いさえ、嗅がなかった。しかし、そこにだれ

かいて、自分に害意を抱いていることはたしかなのである。それからあとの陽子は無我夢

中であった。懐中電灯をうしなった彼女は、はらばうようにしてうろ憶えの道を、仁天堂

のほうへとってかえしたのである。

 それにしても敵はピストルという強力な武器を持っていながら、なぜそれを有効に行使

しなかったのか、また最初の一撃ですっかり体のバランスを失っている陽子に、なぜ襲い

かからなかったのか……それはやはり彼女の威い嚇かくがきいたのだろうといわれてい

る。

「いまにダリヤの間から潜りこんだ刑事さんたちが、こっちへやってくるんだから」

 陽子が三度めの悲鳴をあげたのは、鼠の陥穽を渡るときである。少し気をつけていると

鼠の陥穽のありかはすぐわかった。忙がしく動きまわるこの小動物のざわめきと、ザワザ

ワとものを食はむ音が、まっ暗がりの静寂のなかだけに、二、三間てまえからハッキリと

聞きとることができたのである。陽子はかれらの餌食になっているものが、なんであるか

を思いうかべたとき、全身に粟あわ立だつような恐怖をおぼえずにはいられなかった。

 と、同時に自分がその二の舞いを演じてはならぬという警戒心から、左右の脚でかわる

がわる、そこにかかっている歩み板をさぐりながら前進した。やっと片っぽの足がそれを

さぐり当てた。それを渡る陽子は綱渡りの芸人もおなじことなのだ。あたりは漆うるしの

闇なのだし、しかも後頭部にうけた強いショックから、彼女はからだのバランスを失って

いた。

 陽子は左右に両手を大きくひろげて、体の平衡をたもちながら、一歩一歩狭い板をわ

たっていった。とつぜん彼女の唇から、恐ろしい悲鳴がほとばしったのは、鼠の一匹が彼

女の左脚からスカートの下へはいあがってきそうになったからである。

「キャーッ!」

 と、叫んで彼女がまえに体を倒したとき、突いた両手はさいわいむこう岸に達してい

た。左の脚をはげしくふって鼠をふり落とすと、あとはいっそう無我夢中である。やっと

仁天堂へたどりつき、自分の破った羽目板の隙間から上半身はい出したとき、そこに奥村

弘の顔がのぞきこんでいた。

「パパが……パパが……」

 と、叫んだのも、もちろんパパが危ないという意味だったのだが、それだけいって昏倒

したのもむりではなかったろう。それが彼女のたえうる限界だったのである。


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