「宙にぶらさげられたとき、あいつは手脚をバタバタさせ、くゎっと眼をひらいてうえか
らわたしをにらみましたぞな。どうやらあいつ、自分がいまなにをされているか気がつい
たらしく、咽喉の奥でなにやらグウグウいいながら、物もの凄すごく手脚をバタつかせま
したけんな。わたしは下からいうてやったんです。死ね! 死ね! おまえみたいな疫や
く病びよう神がみは、死んでしもうたほうが世のため人のためじゃ。おまえを生かしてお
いたら、いずれおまえはこのやりくちで、旦那様を吊るし首にするつもりじゃろう。さ
あ、死ね、死ね、死におれい。……わたしは滑車をまわしにまわしてやりましたが、この
年と齢しになるまで、あんなに溜りゆう飲いんのさがる思いをしたことはございませんで
したぞな、ほっほっほ」
それが童女のようなあどけない唇から、淡々として語られるだけ、鬼気肌はだえに迫る
思いは篠崎慎吾も金田一耕助もおなじだったろう。広い日本座敷にはそろそろ暮れなずん
できた晩秋の冷気がみなぎりわたった。
「あいつは宙にぶらさげられたまま、咽喉をゴロゴロいわせながら、手脚をバタつかせ、
なにやらしきりに悪態をついておりました。ずいぶん往生際の悪いやつで。わたしはあい
つをたかだかと吊り上げたり、また低く吊り下ろしたり、さんざんおもちゃにしてやりま
したが、そのうちにぐったり伸びてしまいましたぞな。それでも念のためあと二、三度、
吊り上げたり吊り下ろしたりして、もうこんりんざい息を吹きかえす気づかいはないとい
うことをたしかめてから、そっと馬車のうえに吊り下ろしてやりました。この馬車のうえ
へ吊り下ろすということはとっさに思いついたことで、はじめは棒ぼう鱈だらみたいに宙
に吊るしておくつもりじゃったんですけんど、それじゃなんぼなんでも可哀そうな気がし
たのと、祖父さんがハイカラがって乗りまわした馬車にのって、孫が三さん途ずの川を渡
るというのも、あの気取り屋の最期としては、似つかわしいのではないかと、あれはせめ
てものわたしの情けだったのでございますぞえ」
語りおわったお糸さんは、膝のうえにかたく両手を握りしめたまま、観念の臍ほぞをか
ためたようにニコニコしている。その告白のあまりにも凄惨なるにもかかわらず、お糸さ
んの顔はあくまでも明るかった。
長い沈黙が日本座敷を支配した。その沈黙をやぶったのは慎吾だった。
「金田一先生、それで、あなたこのばあさんをどうなさるおつもりですか」
金田一耕助はまじまじと糸女の顔を見つめていたが、やがてニッコリ笑うと彼女のほう
へ手をさしだした。
「お糸さん、そのてのひらのなかにあるものを、こちらへ頂戴いたしましょうか」
「えっ?」
糸女ははっとしたように両手をつよく握り合わせ、金田一耕助の顔を見なおした。
「いいからそれをぼくにください。あなたにはそんなもの必要ないんです。さあ、こちら
へください」
糸女のからだはかすかにふるえた。それから悪戯を見つかった悪戯小僧のように、バツ
の悪そうな顔をしながら、てのひらのなかにあるものを、おずおずと金田一耕助のほうへ
差し出した。小さな瓶びんだった。
「青酸加里ですね」
さっきからふしぎそうにふたりの応答を見まもっていた慎吾は、ハッとしたように、
「金田一先生!」
と、おもわず体を乗り出すのを、金田一耕助は見むきもせず、
「お糸さん」
「はあ」
「あなたはこのぼくを誤解していらっしゃる」
「誤解とおっしゃいますと?」
「ぼくは警察の人間ではないのですよ。ぼくはここにいらっしゃる篠崎さんのご依頼をう
けて、この事件の調査に乗り出したものです。謝礼は過分に頂戴しました。そういう男に
しては、警察にも十分協力したとお思いになりませんか。これ以上重箱の隅をほじくっ
て、なにを知りえたからって、いちいち警察に報告する義務はない男です。これはわたし
が頂戴しときましょう」