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29.主張・断定的評価答え_どんなときどう使う日本語表現文型500_日语语法_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3339
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主 しゅ 張 ちょう ・断 だん 定 てい 的 てき 評 ひょう 価 か  答 こた え
 
知しっていますか
1.こんなに無む理りをしたら病びょう気きになるa.にきまっている。
2.試し験けんの当とう日じつは早はやめに家うちを出るe.にこしたことはない。
3.わたしの論ろん文ぶんは、論文というよりレポートという程てい度どのものd.にすぎない。
4.あした手しゅ術じゅつをする。今はもう神かみに祈いのるb.しかない。
5.彼かれがふるさとの方ほう言げんを話し続つづけるのは、ふるさとへの深ふかい愛あい着ちゃくc.にほかならない。
 
使つかえますか
1.あの時は病びょう気きだったのだから、{a.仕し事ごとを減へらすしかなかった。}
2.{b.もうたばこは吸すうまいと決心したが、}やっぱり吸ってしまう。
3.大人になるということは、{a.親おやからの独どく立りつにほかならない。}
4.この文ぶんの本ほん当とうの意い味みがわかった人は、{a.ほんの数すう人にんにすぎなかった。}
5.たくさん働はたらいた人の方ほうが給きゅう料りょうが少すくない。{b.これでは不公平というものだ。}



A

 息むす子この太た郎ろうはバイクの腕うでがいい。しかし、1度ど大おおけがをしてからは、もうバイクには乗のる(1.c.まい)と決けっ心しんしたようだった。でも、それは一いち時じ的てきな決心(2.e.にすぎなかった)。夫おっとはあの事じ故この後あと、彼かれからバイクをとりあげてしまった。「いいバイクを持もっていても、命いのちをなくしたら(3.g.それまでだ)」と夫は言いう。もちろん太郎のことを心しん配ぱいするから(4.d.にほかならない)。しかし、あれでは太郎がかわいそう(5.f.というものだ)。太郎もまもなく20歳はたち。バイクが危き険けんなことはわかっている(6.a.にきまっている)。わかっていて乗るのだ。わたしは、今はもうあの子この好すきなようにさせる(7.b.しかない)と思おもっている。

B

1.親おやがわたしの気持ちをわかってくれないのなら、家を出るg.までのことだ。

2.この論ろん文ぶんは大たい作さくではあるけれど、データが少し古いですね。優ゆう秀しゅう作さくとして掲けい載さいするf.にはあたらないと思います。

3.日に本ほんが資し源げん問題に関かん心しんを持ってきた理り由ゆうは、日本が資源に乏とぼしい国だからb.にほかならない。

4.自じ由ゆうをあきらめるくらいなら、わたしは一いっ生しょう結けっ婚こんするa.まい。

5.この質問の意味が理り解かいできる人は、ごく少しょう数すうc.にすぎない。

6.やりたくないからやらないなんて、君きみ、それはわがままd.というものだ。

7.ふだんは健けん康こうでも、無む理りをしない生せい活かつを心こころがけるe.にこしたことはない。

8.どんなに練れん習しゅうしても、けがをして試し合あいに出られなくなったらh.それまでだ。


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11/29 09:48