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国生み_日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本_走进日本_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3339
国生み
 日本列島を生み出した夫婦神の神聖なる交わり
◆試行錯誤が繰り返される国土の誕生神話
 神世七代の最後に現われたイザナキとイザナミは、天の神(アメノミナカヌシ以下五柱
の神々にあたる)から国土を固めよとの命を受けた。両神は、天と地をつなぐ天あめの浮
うき橋はしに立って神聖な矛を指しおろし、「こおろこおろ」と海水をかき混ぜた。する
と引き揚げた矛から塩が滴り落ちて、つもり重なってオノゴロ島ができた。
 早速、島に降り立った両神は、天あめの御み柱はしら(神聖な柱)と八や尋ひろ殿どの
(神殿)を建立。すると、イザナキが、「お前の体はどのように出来ているのか」と尋ね
た。イザナミは「ひとつ出来上がりきらないところ(女陰)があります」と答え、イザナ
キは、自分には余っているところ(男根)があると応じた。そこで、お互いの体の足りな
い部分と余っている部分を合わせて国生みをしようと話し合った。結婚の儀式のために天
御柱を互いに反対からひと巡りし、出会ったところでイザナミが「あなにやし、えをとこ
を(何とすてきな男性でしょう)」と称たたえると、イザナキも「あなにやし、えをとめ
を(素晴らしい女性だ)」と応じた。
 こうして二柱の神は交わったが、生まれたのは不具のヒルコで、その次に生まれたのも
形のはっきりしない淡あわ島しまであった。二神が天の神に相談すると、女神が先に声を
かけたのがよくなかったとのこと。
 天の神の助言に従って、今度はイザナキから声をかけて交わったところ、次々と立派な
島々を生むことができた。まずは淡あわ路じ之の穂ほ之の狭さ別わけの嶋(淡路島)、つ
いで伊い予よ之の二ふた名なの嶋(四国)、さらに隠お伎きの三みつ子ごの嶋(隠岐の
島)、筑つく紫しの嶋(九州)、伊い伎きの嶋(壱岐)、津嶋(対馬)、佐度の嶋(佐渡
島)が生まれた。そして最後が大おお倭やまと豊とよ秋あき津つ嶋しま(本州)。こうし
て大おお八や島しま(日本列島)が生まれたのである。しかも、島々は、二神から生まれ
た子供であるかのようにそれぞれ名がつけられていた。たとえば、四国は、顔が四つあ
り、伊予はエヒメ、讚さぬ岐きはイヒヨリヒコ、粟あわはオホゲツヒメ、土佐はタケヨリ
ワケといった具合である。
 国生みの島や順番は、『古事記』と『日本書紀』で若干異なっている。だが、『古事
記』同様、『日本書紀』に記載された伝承の多くが、淡路島を最初に生んでいる。淡路島
は古代、海上交通の要衝であり、国生み神話の原型は、淡路島の海あ人ま集団の神話だと
いう。イザナキも淡路島を中心に信奉されていた神なのである。
 国生みはその後も続き、吉き備びの児こ島じま、小豆あずき島、大島、女ひめ島、知ち
訶かの島しま、両ふた児ごの島しま(男島・女島)など六つの島が生まれている。
日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本1
『日本書紀』との違い
コラム『日本書紀』に挿入された「一書」とは何か?
『古事記』とともに並び称される『日本書紀』。内容の特徴のひとつは、「本書」と「一
いつ書しよ」に分かれていることだ。『古事記』ではひとつの一貫した物語が展開される
のに対し、『日本書紀』では正伝たる「本書」とともに、異伝と考えられる「一書」が併
記されている。とくに神話の部分にあたる神代紀において顕著であり、ひとつの神話にも
多くの類型が伝えられていたことがわかる。
 たとえば、天地開かい闢びやくの場面にも六つの「一書」がある。最初に現われた神も
「本書」ではクニノトコタチだが、「一書」には、アメノトコタチなど別の神の名があ
がっている。また、スサノヲについても「一書」が多く、三種の神じん器ぎのひとつ瑞み
ず八や坂さか瓊にの曲まが玉たまを羽は明あかる玉たまという神から受け取ったり、子の
イタケルとともに新羅しらぎに降り、イタケルが植林を行なったりする記事が見られる。
『日本書紀』がこのように多数の異伝を併記しているのは、それだけ多くの史料を参考に
した証あかしである。『帝てい紀き』や『旧きゆう辞じ』、各氏族の伝承などを持ち寄
り、それを客観的な視点から編纂したのだ。
 ただし、「本書」と「一書」の関係については、いまだ明確な答えが出ていない。
 ここまで両方の関係を複雑にしているのは、もともと、本文内に注釈として挿入されて
いた「一書」を中世、卜うら部べ家が今のように別枠扱いとしてしまい、構成そのものを
変えたことに原因があるという。
 江戸時代の本もと居おり宣のり長ながは、「本書」は最もふさわしい内容で編纂したも
のと、その優位性を指摘しているが、多くの学者は「本書」も「一書」も当時の古伝承で
あり、どちらにも優位性は見られないと指摘してきた。これに対し、近年、「一書」は古
伝承をまとめたものではなく、『日本書紀』の下書きであり、それらを比較検討して『日
本書紀』を編纂したという説が浮上している。


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