【第一章の神々】
天アマ照テラス大オホ御ミ神カミ
地上を照らし、日の本におわす神々を統括・支配する太陽神
高たか天あまの原はらの主神で、日本の総そう氏うじ神がみとされる太陽の女神であ
る。黄よ泉みの国くにから戻ったイザナキが禊みそぎで左目を洗ったところ化生した三貴
子のうちで、高天原を治めるよう申しつけられたのがこのアマテラスオホミカミである。
神道において、日本列島はすべてアマテラスの支配のもとにあり、地域ごとの氏神はアマ
テラスからその地の統治を任されているとされている。
『日本書紀』には、アマテラスが自ら神田を営み、新にい嘗なめの祭りを行なったとある
が、この行為には巫み女こ的性格が見られる。本来、日の神とその巫女という別の存在
が、いつしか同一となり太陽の女神になったという説もある。
スサノヲの所業に怒ったアマテラスが、天あまの岩いわ屋やに隠れる物語は、日本神話
の中心をなす部分であろう。アマテラスは、スサノヲの度重なる乱暴にも愛情をもって接
したが、神の衣を織る場に馬の死体を放り込まれ、機織女が命を落とすに至って、とうと
う怒りをあらわにし身を隠す。これは、秩序を乱す「穢れ」によって国が闇に包まれるこ
との象徴であり、神々が祭りを行なってアマテラスを復活させ、これによって世界に光が
戻るのは、この神の性格を端的に表わしているといえよう。
アマテラスには、大日 貴神、天あま照てら坐います大おお神みかみなどの別名もあ
り、三重県伊勢市の皇こう大たい神じん宮ぐう(伊勢神宮内宮)ほか各地の皇大神社や神
明社で祀られている。
アマテラスは皇室の祖とされたため、代々の皇女の倭やまと姫ひめが伊勢神宮で斎いつ
きの宮みやをつとめてきた。
もともと古くから大和朝廷が信仰してきた太陽に関する祭りは、大和朝廷の発祥時には
三み輪わ山やまの頂上で行なわれていたが、六世紀頃になってアマテラス信仰が始まる
と、祭りの場所も変遷した。
『日本書紀』には、アマテラスの祭りが始まったのは第十代崇す神じん天皇のときで、大
和の笠かさ縫ぬい邑のむらがその場だったとある。笠縫邑は「元もと伊い勢せ」と呼ば
れ、現代でも太陽神を祀る檜ひ原ばら神社がある。
やがて大和から伊勢に遷せん宮ぐうとなり、伊勢神宮が造られたのは第十一代垂すい仁
にん天皇のときと伝えられている。
だが、実際に本格的な神社が造営されたのは、七世紀後半の天てん武む天皇の時代に
なってからであろう。天武天皇は中国の風水思想にのっとり、幸運をもたらす東の方角に
祭りの場を置いたのである。