国造り
国家建設に情熱を燃やすオホクニヌシを助けた二柱の神
葦原中国を平定したオホクニヌシは国くに造づくりを行なう。その過程は大きくふたつ
に分かれており、まず穀物生産のできる国土造りを手がけたあと、祭さい祀しを定めるの
だ。
だが、実際にはどうしたらよいのか分からないオホクニヌシ。彼が出雲の美み保ほの岬
で悩んでいると、ガガイモで作った舟に乗った小さな神が近づいてきた。名を尋ねても何
も答えない。そこで、物知りのカカシ・クエビコに聞くと、その神はカムムスヒの子だと
いう。今度はカムムスヒに聞くと、小さすぎてこぼれた子のスクナビコナであり、ともに
「国を作り堅めよ」と答える。
こうして二神は協力して国造りに励んだ。スクナビコナは穀物神と考えられることか
ら、農耕を中心とした国造りが推測される。だが、やがてスクナビコナが海の彼方の常と
こ世よの国くにへと旅立ってしまう。
途方に暮れたオホクニヌシであったが、今度はオホモノヌシと名乗る神が現われた。こ
の神は大和の三み輪わ山やまに自分を祀ることを条件として、助力を申し出ており、前述
の農耕面の国造りに対し、祭祀面の国造りを示しているのかもしれない。
『日本書紀』との違い
コラム 正史で出雲神話が語られない政治的事情とは?
『古事記』においてはかなり重点が置かれ、割かれたページ数も多いオホクニヌシの出雲
神話。物語性に富む部分だが、なぜか『日本書紀』においては「一書」でほんの少し触れ
られるに留まる。
『日本書紀』では、スサノヲはオホアナムヂを生んだのち、すぐに根の(堅州)国へと
行ってしまう。その後、稲羽の素兎やスサノヲの試練といったオホアナムヂの活躍譚はな
く、「一書」としてわずかに国造りの様子が語られるだけで、アマテラスらによる葦原中
国の平定へと移っていくのである。
ただ、この国造りの記述は注目したい。オホアナムヂは、スクナビコナと力を合わせ人
民と家畜のために病気治療の方法や、鳥獣や昆虫の災いを防ぐ方法を定めたとして、『古
事記』より具体的なものとなっているからだ。「記紀」とほぼ同時代に編纂された最古の
地誌である各国の「風ふ土ど記き」においてもこの二神は各国に登場し、行幸を行なった
り、温泉を掘ったりするなど、その記述はさらに具体的なものとなっている。現在でも有
名な愛 の道後温泉や、伊豆の温泉などはオホアナムヂとスクナビコナによって開かれた
のだという。
『日本書紀』で出雲神話が省かれたのは、国家の歴史を残すうえで不要と判断されたため
と考えられる。というのも出雲神話はそれまでの天上界を舞台にした天あまつ神かみか
ら、舞台が地上に移り、国くにつ神かみを主人公にした物語である。唐突な観が否めず、
この部分がなくても、国家の歴史を語るうえでは何の問題もない。
いわば歴史の縦糸という時系列によって進められている『日本書紀』にとっては不要な
部分だったのだ。
一方、歴史の縦糸と横糸を輻ふく輳そうさせながら世界を浮き彫りにしていく『古事
記』では必要な箇所だったのである。出雲神話は、国つ神と天つ神の統一を描くものであ
り、国つ神の王オホクニヌシが偉大であればあるほど、のちに地上平定を果たす天皇の偉
業が際立つからである。