国譲り
オホクニヌシが示した降伏の条件とは?
出雲に戻ったタケミカヅチは、オホクニヌシにタケミナカタの降伏を告げ、再び国譲り
を迫った。ここに至りオホクニヌシも国譲りを決意。ただしその条件としてひとつの提案
を行なう。それは天つ神の御み子このような立派な宮殿を建ててもらうことであった。そ
こで出雲の多た芸ぎ志しの小浜に御殿が造営された。これが現在に残る出雲大社の起源で
あるという。タケミカヅチは高天原へ戻り、葦原中国を無事平定したことを報告。ここに
オホクニヌシから高天原の神々への国譲りが成立したのである。
古代出雲は宗教的な権威を持つ特別な地であり、この地を服従させる神話は大和朝廷に
とって重要な意味があった。しかも相手が偉大であればあるほど、それを服従させた皇祖
神の権威が増す。そうした意図のもとにオホクニヌシ像が描かれたのである。そんな偉大
なオホクニヌシの御殿、出雲大社の規模も群を抜いていたようだ。平安時代には、日本一
高い建物とされ、当時は、四八メートルの高さがあったといわれる。ただし、『出雲国風
土記』に記された出雲独自の伝承では、国譲りの話はなく、国造りを行なったオホクニヌ
シのために神々が集まって造営したという。