「誰かここに隠れていたんだ、まちがいない」部長がランプを近づけると、泥ぐつの跡が
すみのほうにはっきりとみえた。「どうやらあなたのお説どおりのようですな、バーカー
さん。犯人は、カーテンが閉められてから橋があげられてしまうまでの間、すなわち、四
時以降六時までの間に、この屋敷にしのびこんだものとみえます。まっ先に目にはいった
のでこの部屋にはいりこんだのでしょうが、隠れ場所がこれといってなかったものだか
ら、とりあえずこのカーテンのかげにすべりこんだってわけです。これはどうみてもあき
らかですな。盗みが目的だったのでしょうが、運悪くダグラス氏にみつかってしまったも
のだから、殺して逃げたのです」
「私もそう思います」バーカーがいった。「でもですね、ぐずぐずしている場合じゃない
のではありませんか? やつが逃げてしまわないうちに、あたり一帯の捜査を始めないこ
とには?」
巡査部長はしばらく考えてから、いった。
「朝の六時になるまで汽車の便はないわけですから、鉄道の利用はありえないとして、も
し歩いて逃げたとしても、これもずぶぬれの姿ではきっと人目につくでしょう。いずれに
せよ誰かきてくれるまでは、私としてはここを動くわけにはいきません。といって、あな
たがたも、もう少し事態がはっきりするまではここを離れてもらってはこまります」
このとき、ランプを手にして死体をくわしく調べていた医師が、いった。
「この印 しるし は何でしょう? 事件と関係でもあるんでしょうか?」
死体の右腕がガウンのそでからつきでていて、ひじのあたりまでむきだしになってい
た。その前腕のなかほどあたりに、丸のなかに三角を描いた奇妙な茶色の印が、ラード色
の皮膚の上にあざやかに刻みこまれていたのである。
「刺青 いれずみ ではありませんね」医者が眼鏡 めがね ごしにのぞきこみながらいった。「こんなも
のはいままでにみたことがありません。牛におす焼印のようなものをおされたのですな。
この印 しるし はどういう意味です?」
「正直いって私にもわかりかねますが、でもダグラス君がこの印をつけているのは、ここ
十年来何度かみたことがあります」セシル・バーカーがいった。
「じつは私も」執事が口をはさんだ。「だんなさまがそでをまくりあげられたおりに、た
びたびこの印が目にはいったものでございます。何のことかいつも不思議に思っておりま
した」
「じゃあいずれにせよ事件とは関係があるまい」巡査部長がいった。「それにしても変な
事件だ。何から何まで変だ。おや、こんどは何だ?」
執事がびっくりして叫び声をあげ、投げだされた死体の手を指さしていたのである。
「結婚指輪が盗まれています!」執事が息をつまらせていった。
「何だって!」
「はい、そうなんです! だんなさまはいつも左手の小指に、飾りのない金の結婚指輪を
はめていらっしゃいました。そこにみえる天然金塊のついた指輪はその上からはめてあっ
たものなのです。それと薬指には蛇のからみついた形のをはめておいででした。金塊のと
蛇のとはございますが、結婚指輪だけがなくなっております」
「彼のいうとおりです」バーカーがいった。
「結婚指輪のほうが下に ヽヽ なっていたというんだね?」巡査部長が念をおした。
「たしかです!」
「すると犯人は、いや犯人とはかぎらんが、まずこの金塊の指輪というのを抜いてから、
結婚指輪をとり、あとから金塊のやつをもう一度はめなおしていったことになる」
「そうです」
まじめな田舎巡査部長は頭をふって、言った。
「どうやら一刻も早くロンドンに応援をたのんだほうがいいみたいだな。州警察のホワイ
ト・メイソンだってなかなかの切れ者だがね。この地方の事件で彼の手におえなかったも
のはひとつもないくらいだからな。もうまもなく駆けつけてきてくれるでしょう。でもい
ずれはロンドンの手をかりねばなるまい。ともかく正直いって、この事件は私のごとき人
間にはちと荷がかちすぎるからな」