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第一部 第五章 脇役の人々(4)
日期:2024-01-11 16:07  点击:259

 マクドナルド警部が、ダグラス夫人のところに、彼のほうからお部屋におうかがいした

い、という趣旨の手紙をとどけさせたところ、夫人は、こちらから食堂に出向いていって

みなさんに会います、という返事をよこした。食堂に姿を現した夫人は、年の頃は三十ば

かりのすらりとした美人で、私が思いえがいていたような、痛ましいまでにとり乱した姿

とはおよそかけはなれていて、意外なほどもの静かで、落ちつきはらっていた。さすがに

顔は青ざめ、ひきつっていて、ショックの大きさを物語っていたが、態度は冷静そのもの

で、テーブルのはしにおいた形の美しい手にしても、ふるえることなどなく、私の手と同

じくらいしっかりしていた。悲しげに訴えるような、それでいて妙に好奇心あふれる目

で、私たちをみまわしていたが、そのうち突然、その好奇心を言葉にあらわした。

「何かおわかりになりまして?」

 そうたずねる彼女の口調に、期待よりもむしろ不安のようなものが感じられたのは、私

の思いすごしだろうか?

「あらゆる手段をこうじて捜査中です、奥さん。手ぬかりなど決してありませんから、ご

安心下さい」警部が言った。

「費用はおしみません。できるかぎりの手を尽くしていただきたく存じます」生気のな

い、平板な口調だった。

「お話をおうかがいすれば、何か手がかりになりそうなことでもつかめるかもしれないと

思いましてね」

「お役にたてますかどうか。でも、知っておりますことはすべて申し上げるつもりでおり

ます」

「セシル・バーカー氏の話では、あなたは実際にご覧にはなっていない、つまり、事件の

起こった部屋にまだ一度もおはいりになっていないそうですね?」

「ええ。階段のところでバーカーさんに押しとどめられたのです。自分の部屋にもどって

いてほしいといわれました」

「そうですってね。あなたも銃声をきかれてすぐおりていらしたのですね」

「ガウンをはおってすぐにおりてまいりました」

「銃声をきかれてから階段の下でバーカーさんにとめられるまでに、どのくらい間 ま があり

ましたか?」

「二分くらいだったかもしれません。ああいう場合ですから、時間のことなど気にかけて

いる余裕はありませんでした。バーカーさんは、どうかこないでほしい、私がいってもも

はや手のほどこしようがないんだから、と必死になっておっしゃるのです。そこへ家政婦

のアレン夫人が駆けつけてまいりまして、私を二階へつれて帰ってくれました。まるで恐

ろしい夢でもみているようでした」

「ご主人が階下 した へおりられてから銃声がきこえるまで、どのくらい時間があったか覚え

ていらっしゃいますか?」

「それはわかりかねます。主人は化粧室から直接階下 した へおりていきましたので、私は全

然気がつきませんでした。主人は火事のことが心配でならないらしく、毎晩屋敷じゅうを

みてまわっておりました。私の存じているかぎりでは、主人が唯一つだけ恐れていたこと

は、火事だったようです」

「その点に、ちょうどいまふれさせていただこうと思っていたところなのです、奥さん。

あなたはご主人のイギリス時代しかご存じないのでしたね?」

「はい。五年前に結婚したばかりですから」

「ご主人のアメリカ暮らしのあいだに起こったことで、それが原因で何か身に危険を感じ

るような出来事について、ご主人の口から何かおききになったことがありますか?」

 ダグラス夫人はしばらくじっと考えこんだすえ、やっと口を開いた。

「はい。主人の身に何か危険な影がつきまとっている感じはいつもうけていました。でも

主人はそのことを話題にするのをひどくいやがっておりました。私を信頼していなかった

からではありません。私たちふたりは、心から愛しあい、信頼しあっておりましたから。

むしろ、私を心配させまいとする主人の心遣いによるものだったのです。もし私にうちあ

ければ、私がくよくよ思い悩むにちがいないと思って、かたく口をとざしていたのです」

「ではあなたはどうしてそのことに気づかれたのですか?」

「妻に対して一生秘密を隠しとおせるような夫がおりましょうか? また、夫を愛してい

ながら、夫の秘密に気づかずにいられるほど鈍感な妻がおりましょうか? いろんなこと

から私は感づかずにはいられませんでした。アメリカ暮らしのことが話題になりまして

も、ある箇所にきますと急に口をつぐんでしまうことからもピンときましたし、ときおり

主人がみせる妙に用心ぶかい態度や、ふともらす言葉、ふいに訪れた見ず知らずの者をみ

る目つきからも、主人が何かにおびえているのがありありと読みとれたのです。そういう

わけで、主人には何か強力な敵がいて、主人はたえずつけねらわれているものと信じてお

り、そのためにつねに用心しているのだということを、確信するにいたったわけです。そ

れですから、ここ数年来、主人の帰宅がおそすぎたりしますと、たまらなく不安になった

ものでございます」

「ちょっとおたずねしますが、あなたの注意をひいたご主人の言葉とは、どんなものでし

たか?」ホームズがいった。

「『恐怖の谷』と申す言葉でございます」夫人が答えた。「私が何かたずねますと、主人

はよくその言葉を口にしたものでございます。『私は恐怖の谷にいたことがある。いまで

もそこからぬけきっていないのだよ』などと申すのでございます。『私たちは、一生、そ

の恐怖の谷からぬけ出られないのでしょうか?』いつになく主人が深刻な顔をしています

ので、こうたずねてみますと、『ときおり、死ぬまでだめかな、と思うことがあるよ』主

人はこう申すのでございます」

「『恐怖の谷』とは何のことだか、きいてごらんになったのでしょうね?」

「はい。でも主人は顔をひどく曇らせ、頭をふりながら、ただこう申すだけでした。『私

たち夫婦のひとりがあの谷の影にはまりこんでしまったとは、本当に不幸なことだ。あと

は、おまえにまであの影がしのびよることがないよう、神に祈るばかりだよ』どうやら、

主人のいう『恐怖の谷』とはどこか現実にある谷で、主人はそこに住んでいたときに、何

か恐ろしい目にあったのにちがいありません。でも、それ以上はわかりかねます」

「で、ご主人は誰か人の名を口にされたことはなかったわけですか?」

「ございます。三年前に猟でけがをした際、熱にうなされたことがございまして、ある人

の名を始終つぶやいていたのを覚えております。怒りにかられ、恐怖におののきながら、

つぶやいておりました。マギンティ――マギンティ支部長と申しておりました。熱がさが

りましてから、マギンティ支部長とはどこの誰のことで、いったい何の支部長なのです

か、とたずねてみましたところ、『私とは関係ないよ、ありがたいことにね』とだけ答え

て、一笑に付してしまい、あとは知らん顔です。でも、マギンティ支部長と恐怖の谷との

間には、何らかの関係があるにちがいありません」

「もうひとつおききしたいのですが」マクドナルド警部が言った。「奥さんがご主人と知

りあわれて、ご婚約なさるにいたったのは、ご主人がロンドンで下宿生活をなさっている

ときでしたね? で、ご結婚に際しては、何かロマンスのような、人知れぬ秘密めいたも

のがおありでしたか?」

「ロマンスはございました。結婚にロマンスはつきものです。でも秘密など何ひとつござ

いませんでした」

「ご主人にとって恋敵 こいがたき のようなものは?」

「ございませんでした。私にはこれといって男のひととのおつきあいはございませんでし

たから」

「すでにおききのことと思いますが、ご主人の結婚指輪がなくなっているのです。何か思

いあたるふしがおありですか? かりにご主人の昔の敵が、居どころをかぎつけて、こん

なことをしでかしたのだとしても、いったい何のために結婚指輪をぬきとっていったりな

んかしたんでしょう?」

 ほんの一瞬ではあったが、私はこのとき、夫人の口もとに笑みがうっすらとただようの

を、たしかにみたように思う。


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09/30 13:25