「ええ、ほぼお察しのとおりですよ」ダグラス氏が認めた。「私はイギリスの法律ではど
う裁かれるのか不安だったので、なんとかして法の追求から身をかわしたいと思ったので
す。それに、これっきり追手の目をくらましてしまうまたとない機会だとも思いました。
ただこれだけは言っておきますが、私は、世間には顔むけできないようなことや、自分で
も二度としたくないようなことは、何ひとつやっていません。でも、まあ、それは私の話
をおききになってからあなたがたがご判断なさればいいことです。いや、警部さん、ご忠
告には及びません。洗いざらい真実をぶちまける覚悟でおりますから。事の起こりから話
す必要はないでしょう。それはすべてあそこに書いておきましたから」――私の手にある
原稿の束を指さして――「読んでみて退屈なさることは決してありますまい。つまり、こ
ういうことなんです。私を憎んでしかるべき理由をもった連中がいて、しかも彼らは私を
殺すためならどんな苦労もいとわない連中なのです。ですから、やつらが生きているかぎ
り、私には死ぬまでこの世に安全な場所はないのです。連中はシカゴからカリフォルニア
へと私を追いたてたあげく、ついには私をアメリカから逃げださざるをえなくなるところ
まで追いこみました。それでイギリスへ逃げ帰ってきた私は、しかし、世帯をもってこの
片田舎に落ちついてからは、これでどうやら平穏な晩年がおくれそうだと思っていたので
す。妻にはこういった事情は一言も話しませんでした。なぜ彼女まで巻きこむ必要があり
ましょう? 知ったら最後、もう一瞬たりとも心やすまるときはなく、たえず不安におの
のいていなければならなくなるでしょうからね。しかし、うすうすは感づいていたようで
す。私にしても、ふと言葉をもらすようなことがあったでしょうからね――でもついきの
うまで、あなたがたに会うまでは、ほんとうのことは何も知らなかったのです。妻があな
たがたに話したことが、妻にわかっているせいいっぱいのことだったのです。それはここ
にいるバーカー君とて同様です。事件が起こった晩は、ゆっくり説明しているひまなどと
てもじゃないがなかったですからねえ。いまでは妻は何もかも知っています。こんなこと
なら、もっとはやくうちあけておいたほうが賢明だったと後悔している次第です。でもね
え、なかなかふんぎりがつかなくてねえ」――ダグラスはちょっと夫人の手をとって
――「すべてよかれと思ってやったことなんだよ。
さて、みなさん、事件の前日、私はタンブリッジ・ウエルズの町へ出かけた際に、通り
である男の姿をちらっとみかけたのです。ほんの一瞬のことだったのですが、こういった
点では私の目にくるいはありません。誰であるかはすぐわかりました。私をねらっている
連中のなかでもいちばん性質 たち の悪い男――トナカイを追いまわす飢えたおおかみのよう
に、ここ何年もの間ずっと私をつけねらっていた男です。これはやっかいなことになるぞ
と思い、すぐ家に帰って心づもりをしました。自分の力でじゅうぶんきり抜けてみせるつ
もりでした。私は運のつよい男で、一時そのことでアメリカじゅうの話題になったことも
あったくらいですから、こんどもまただいじょうぶだろうと信じて疑わなかったのです。
その翌日は一日じゅう用心して、館の外へは一歩も出ませんでした。出なくて幸いでし
た。もし出ていたら、あっという間にあの猟銃でずどんとやられていたにちがいないので
す。橋をあげてからは――いままでだって夕方橋をあげてしまうと、一段と心がやすまっ
たものです――その男のことなどすっかり忘れてしまいました。まさか屋敷のなかにしの
びこんで私を待ちうけていようなどとは夢にも思っていませんでした。ところが、いつも
の習慣でガウンをはおって屋敷のなかをみてまわりながら書斎に足を踏みいれたとたん、
すぐに殺気のようなものを感じたのです。人間というものは何度も危険な目にあっている
と――私は人一倍そういう経験がありますが――一種の第六感のようなものが働くように
なって、危険を知らせる赤旗をふってくれるように思えます。その晩も、私はそういった
危険信号をはっきりと感じとりました。はてな、と思った瞬間、窓のカーテンの下にくつ
がのぞいているのが目にはいり、これだなと思いました。
私はローソクを一本手にしているだけでしたが、ドアをあけたままなので、広間の燈 あかり
がかなり流れこんでいました。私はローソクをおいて、マントルピースの上に置いたまま
にしてあった金づちにとびつきました。と同時に、男が私におどりかかってきました。ナ
イフがきらりと光るのがみえたので、私は夢中で金づちをふりおろしました。どこかにあ
たったらしく、ナイフがことんと床に落ちました。男は、うなぎのようにするりとテーブ
ルをまわって逃げ、コートの下から鉄砲をとりだしました。かちりと撃鉄をおこす音がき
こえたので、撃たれてはなるまいと私は夢中で鉄砲にしがみつきました。私のつかんだの
は銃身の部分でしたが、そうやって一、二分の間、われわれは激しく鉄砲を奪いあいまし
た。手をはなしたほうが殺されるわけです。男もはなすまいと必死でしたが、台尻を下に
向けて持ちつづけすぎたのが運のつきでした。私の手が引き金にかかったのか、それとも
もみあっている拍子になにかにぶつかって動いたのか、とにかく男は二発ともまともに顔
にくらってしまいました。ふとわれにかえり、下をみると、テッド・ボールドウィンの残
がいが床にころがっていたというわけです。町でみかけたときもすぐあいつだとわかりま
したし、私にとびかかってきたときにも顔ですぐわかりましたが、このありさまでは、生
みの母だって見分けがつくはずがありません。ずいぶん手荒い仕事をやってきたはずの私
ですら、やつのなりはてた姿をみていると、ほんとうに気分が悪くなりました。
テーブルの横につかまってぼうぜんとしていると、バーカー君が駆けおりてきました。
妻の足音もきこえましたので、ドアに駆けより、妻を押しとどめました。女のみるもので
はありませんからね。あとからすぐいくからといって納得させました。そして、バーカー
君に一言二言いって――彼はひと目ですべてを察してくれました――ほかの連中が駆けつ
けるのを待ったのです。ところが誰もやってくる気配がありません。それで、音がきこえ
なかったのだということがわかりました。この出来事を知っているのは私たちだけだとわ
かったのです。
まさにその瞬間、ある名案が私の頭にひらめきました。あまりのすばらしさにわれなが
ら一瞬うっとりしたくらいです。死体のそでがめくれあがっていて、前腕のところに支部
の焼印がみえていたのです。つまりこれです」
ほんもののダグラスは、上着とシャツのそでをまくりあげ、死体にあったのとそっくり
同じの、丸のなかに三角が描かれた茶色の印 しるし をみせた。