橿原への道
勇ましい歌謡で表現されるまつろわぬ者征討の戦い
◆圧殺の罠をくぐり抜ける
熊野を踏破した東征軍は、吉野にたどり着く。だが、まだまだ荒ぶる者たちは多く、討
伐して進まなければならなかった。
ここからの行軍は、久く米め歌うたと呼ばれる歌謡でいきいきとその戦いの場面を表現
しているのが特徴である。久米歌とは、大嘗祭で舞われる久米舞の歌謡であり、伴ともの
造みやつこ、久く米め部べの人が歌う歌のことである。
宇う陀だの地に待ち構えるのはエウカシとオトウカシという兄弟である。まずイハレビ
コはヤタガラスに命じて、服従するか否かと問いたださせた。するとエウカシは遣いのヤ
タガラスを弓で追い返し、戦う姿勢を見せた。
だが、軍勢が思うように集まらなかったため、エウカシは恭順を装う。そして自分の御
殿に罠を仕掛けてイハレビコらを待ち構えた。
ところが弟のオトウカシは帰順を決めており、イハレビコらにエウカシの策略を密告す
る。
すべて発覚しているとは知らないエウカシは、イハレビコらを迎えたものの、ミチオ
ミ、オホクメといったイハレビコの部将たちに「お前の造った御殿にまず入れ」と迫られ
る。逃げ出そうとしても時すでに遅く、矛や矢に追い立てられた彼は自分の御殿に追い込
まれた。そして、たちまちエウカシは自分が仕掛けていた押し機に押しつぶされて命を落
としたのである。
兄エウカシを裏切り、イハレビコに帰順したオトウカシは、宇陀の水みな取とりの先祖
となったという。「水取」とは、宮廷の飲み水や氷ひ室むろなどに携わる職のことであ
る。のちに「主水」と書くようになり、「もんど」と読んだ。
オトウカシがイハレビコの軍に対してご馳走を献上すると、これらは兵士たちに分け与
えられた。戦勝祝いが行なわれ、兵士たちは勇ましい歌を残している。
「風土記」では征服された土地の人々が食事を献上する場合が見られ、オトウカシによる
献上も同様の意味があるのかもしれない。
こうして宇陀をあとにした一行は、今度は忍坂の大室、大洞窟で八や十そ建たけると呼
ばれる土蜘蛛の勇者たちとあいまみえる。ところが敵が多すぎる。そこで今度はイハレビ
コ側が罠を仕掛けることにした。土蜘蛛らを饗宴でもてなすと見せかけ、その実、給仕人
たちにすべて刀を持たせた。決起する合図は勇ましい久米歌。果たして、一斉に刀を振り
かざし、敵を一網打尽にしたのである。