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第三章の神々 神カム倭ヤマト伊イ波ハ礼レ ビ古コノ命ミコト_日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本_走进日本_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3334
【第三章の神々】
  神カム倭ヤマト伊イ波ハ礼レ ビ古コノ命ミコト
  艱難辛苦を乗り越え、大和朝廷を打ち立てた初代天皇
 アマテラスの孫であるニニギのさらにまた孫にあたり、名はカムヤマトイハレビコ。神
と人をつなぐ初代天皇とされ、「記紀」にはその事績が詳しく記されている。
『日本書紀』によると、高たか千ち穂ほ宮にいたイハレビコは、兄弟や子供たちと相談し
て都を東の国に遷すことにする。水軍を率いてイツセ、イナヒ、ミケヌという三人の兄と
ともに、日ひ向むか国美み々み津つから船出し、豊予海峡から九州北岸を経て、さらに瀬
戸内を東進する。吉き備び国の高島宮に三年留まって船や食料を整えたのち、東進して河
内国の白肩津にて船を降りた一行は生い駒こま山やまを越えようとする。ところが、ここ
で大和の豪族ナガスネヒコのために撃退され、やむなく難波の海(大阪湾)沿いに南下。
ナガスネヒコとの戦いで負傷した兄のひとりイツセは、ここで亡くなってしまう。さらに
一行はイナヒ、ミケヌを失いながらも紀伊半島沿岸を南へ航行する。
 熊野に上陸しても苦難は続くが、神々が遣わしたヤタガラスの導きにより、イハレビコ
一行は無事、大和へと入る。この地で再びナガスネヒコと対決しようとすると、金色の鳶
が飛んできてイハレビコの弓の先に止まった。ナガスネヒコの兵士たちは目が眩くらんで
戦意を失う。ナガスネヒコは、この地に天降った神の子ニギハヤヒを奉じていたが、その
ニギハヤヒによって殺害される。こうして大和を平定したイハレビコは、畝うね傍び山の
麓に橿かし原はらの宮みやを建て、初代天皇となったという。
 ただし、この話は伝説であって史実ではないという見方が有力で、神武天皇の実在性に
ついても疑問視されている。東征の物語は、壬じん申しんの乱で吉野から大和に入って即
位した天武天皇の行動をもとにしているという説や、応おう神じん天皇に始まる河内政権
の大和進出をなぞったものだという説、あるいは越前国・近江国を背景にした継けい体たい
天皇の即位をもとにしたものだという説などがある。
 また、イハレビコは『日本書紀』において「磐余彦」とも書くが、「磐余」というの
は、現在の奈良県桜井市あたりの地名であり、大和三輪山との関わりが深い。神武一行の
行程は、「記紀」でかなり詳しく述べられていることからも、九州からやってきて三輪山
周辺に住みついた豪族が、生駒山の豪族と戦って最後には勝利したという事実があったの
かもしれない。北九州にあった邪や馬ま台たい国こくの一行が、いったん南九州の日向へ
進出し、そこから大和に向かったという説もある。
 神武天皇の陵みささぎは畝傍山麓と比定されている。また、即位の地とされる場所には
一八九〇(明治二十三)年に橿原神宮が創建されている。

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