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第四章の人々 御ミ真マ木キ入イリ日ヒ子コ印イニ恵エノ命ミコト(崇神天 皇)_日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本_走进日本_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3334
【第四章の人々】
  御ミ真マ木キ入イリ日ヒ子コ印イニ恵エノ命ミコト(崇神天
皇)
  税制の創設、交通路の拡大など国家統治の体制を整えた王
 神じん武む天皇から第九代開かい化か天皇までは、その存在に神話的雰囲気が残ってお
り、事績にも現実的なものはほとんど見られない。だが、第十代崇す神じん天皇は実在の
可能性が確かめられる最古の天皇である。そのため、崇神天皇を事実上の初代天皇とみな
す説もある。即位するやいなや、国中に疫病が流行して人民の大半が死亡し、大地は荒廃
するという困難に遭う。このとき、崇神天皇は一心不乱に天てん神じん地ち祇ぎを祀っ
た。そして、災厄はオホモノヌシとヤマトノオホクニタマの祟りであるとして、それぞれ
の神の子孫に祀らせた。天神と地祇を天社と国社に分け、高たか天あまの原はらの皇祖神
と土着の神は並び立つものであることを定めて五穀豊穣を実現させたという。
 このように熱心に祭祀を行なうことから、この天皇は原始的な宗教儀礼を行ない、神に
働きかける祭司としての役割も大きかったと考えられる。「崇神」という諡し号ごう(お
くりな)にも、神を崇めるという意味が込められているのだろうか。
 以下、『日本書紀』によると、崇神天皇七年、天皇が占いをしようとしたところ、霊力
の持ち主とされていたヤマトトトビモモソヒメが神懸かりとなり、謀反の前ぶれがあると
天皇に告げたという。
 ヤマトトトビモモソヒメの陵墓は広大なものだったと『日本書紀』に伝えられており、
邪馬台国の女王卑ひ弥み呼ことの類似性が多いという。だとすれば、『「魏志」倭人伝』
に登場する男王が崇神天皇だったのではないかという考えもある。
 その一方で崇神天皇は、北陸・東海・西海・丹波の四道に皇族の四し道どう将軍を派遣して平
定し、税制を創設し、池や溝を整え、交通路を拡大させる政策を実行している。このよう
にして、人間社会の国家の形を成していったのである。
 こうした事績から崇神天皇は「御肇国はつくにしらす天皇すめらみこと」と称えられ、
崩御後、現在の奈良県天理市の山やま辺べの道みちの勾まがりの岡おかの上えの陵みささ
ぎに葬られた。

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