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苦難の東国遠征_日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本_走进日本_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3335
苦難の東国遠征
 西国を平定し、帰還したヤマトタケルを待ち受ける無情の勅命
◆后の犠牲の上に東国平定に成功する
 クマソばかりか出雲までも平定し、凱旋したヤマトタケル。それなりの出迎えやねぎら
いの言葉があるだろうと思うのは当然である。ところが彼を待ち受けていたのは「東の一
二国のまつろわぬ神や人を帰順させよ」という無情な東征命令だった。この命令を受けて
ヤマトタケルは、自分が疎うとまれていることに気づいたのだろう。出立にあたって伊勢
のヤマトヒメを訪ね、「大おお君きみは私に死ねというのか」と嘆いている。意気揚々と
出向いたクマソ征討とは一転、悲劇的な結末を暗示させる。
 そんなヤマトタケルをヤマトヒメがどう励ましたか定かではないが、彼女はヤマタノヲ
ロチの尾から出たと伝わる草くさ那な芸ぎの剣とともに、万一のときに開けるようにと袋
を手渡して再度見送った。
 東征の途中、尾お張わりに立ち寄ったヤマトタケルは、尾張国くにの造みやつこの祖と
なるミヤヅヒメという女性と出会う。征旅の身であることから、婚約だけをして東国へ向
かった。
 しかし、この遠征は厳しいものになる。相武(相模)国では、国造に教えられて悪い神
がいる沼を見るために野に入ったところ、突如、火に囲まれてしまう。悪い神の情報は、
ヤマトタケルを亡き者とせんがための国造の奸かん計けいだったのだ。窮したヤマトタケ
ルが思い出したのはヤマトヒメにもらった宝剣だ。彼はこの剣で草を払い、袋に入ってい
た火打ち石で向かい火を出して炎を退けたという。草那芸(草薙)の剣の名称はこの逸話
に由来している。
 さらに東へと進む一行に、さらなる試練が襲いかかった。走はしり水みずの海(浦賀水
道)を渡航中、嵐が吹き、波が荒れ、船は揺れ動くばかりで一向に前へ進まない。困って
いると妃のオトタチバナヒメが、自分が海へと入り、海の神の怒りを鎮めようと買って出
る。ヒメは海の上にござを敷き、その上に座ると海へと流れ出した。彼女の姿が波間に消
えると、波は鎮まり、一行は海を渡ることができたのである。その七日後、ヒメの櫛くし
が浜辺で発見され、ヤマトタケルによって墓が築かれたという。
 こうして度重なる苦難を乗り越え、東国の蝦夷えみしや荒ぶる神々を平定したヤマトタ
ケルは帰路に着いた。途中、足あし柄がらに至った際、オトタチバナヒメを追想して「吾
あ妻づまはや」と嘆いた。以来、足柄より東をアヅマと呼ぶようになったという。
 やがてミヤヅヒメの待つ尾張へと帰還。ミヤヅヒメを見ると裾には月のさわりが出てい
るではないか。それを歌に詠むと、ヒメは愛しい君を待ちわびて月のさわりも立ったので
しょうと歌を返す。こうしてふたりはめでたく結婚したのであった。

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