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皇后の新羅遠征_日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本_走进日本_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3338
皇后の新羅遠征
 天下を治める御子を宿したオキナガタラシヒメによる新羅遠征
◆新羅遠征の帰路、出産を遅らせる
 ヤマトタケルの父オホタラシヒコが崩御し、その子ワカタラシヒコ(成務天皇)の時代
を経て、ヤマトタケルの御子タラシナカツヒコ(仲哀天皇)が即位する。
『古事記』ではすぐに九州遠征へと移るが、『日本書紀』においてタラシナカツヒコは即
位後、父ヤマトタケルの業績を偲ぶべく、白鳥を献上させ、陵の周りの池で飼ったという
記録が残されている。
 さて、この天皇がクマソを討つために筑紫国訶か志し比ひの宮にあったとき、皇后オキ
ナガタラシヒメ(神功皇后)にある神託が下る。海を隔てた西の国には金銀財宝が豊かで
あり、この国を与えようという内容であった。ところがタラシナカツヒコはこの神託を信
じないばかりか、偽りをなす神だと決めつけ、聞き入れようとしない。すると、神は怒
り、天下はタラシナカツヒコが治めるものではないとし、死の宣告を下した。
 重臣タケウチノスクネが慌てて天皇を諫いさめ、神を降ろすために琴を弾くよう進言す
る。天皇はこれを受けながらもいい加減に琴を弾いていたところ、ぱたりと琴の音が止
まった。天皇を見てみると、そのまま事切れていたのである。
 再びタケウチノスクネが神託を請うと、前の内容とほぼ同じで、さらに「皇后のお腹の
子は男の子であり、この国を支配する」という神託が加わった。そして神はソコツツノ
ヲ、ナカツツノヲ、ウハツツノヲであると名乗り、「すべての神に幣ぬさを奉り、木を焼
いたひょうたんに入れ、箸と柏の葉でできた皿をたくさん作り、それを海に散らして渡れ
ばよい」と言った。
 皇后はこの神託に従い、身重ながらただちに軍勢を整えて海を渡った。神託に従って船
を海に浮かべたところ、たちまちあらゆる魚が船を背負い、また順風が起き、あっという
間に新羅国に到着したという。これを見た新羅の国王は恐れおののいて降伏したため、新
羅を馬飼いに、新羅の隣国百済を屯倉みやけと定めた。さらに皇后は杖を新羅の国王の門
に突き立て、国を占有した証とした。また、神託を下したソコツツノヲ、ナカツツノヲ、
ウハツツノヲの三神を国の守り神と定めたのち、皇后は船を返して筑紫へと戻っていっ
た。なお『古事記』では一度きりの新羅遠征だが、『日本書紀』では何回も遠征に赴いた
とある。最初に新羅を平定したものの、逆らう者が出たため、数度遠征した様子が記され
ている。
 新羅遠征の帰路、にわかに皇后を陣痛が襲う。だが、戦陣の慌ただしさのなかにあって
は、しばらく出産を遅らせるべきと考えた皇后は、石を裳もに結わえて腰を押さえつけ、
出産を遅らせたという。この石に関しては北九州の「風ふ土ど記き」に多くの記述が見ら
れる。とくに『筑前国風土記』逸文にはいくつかの伝承がある。石で腹を撫でて出産を遅
らせたとあり、その石は伊い都とに置かれていたが、のちに落雷で割れたとある。また、
神功皇后の伝説から、この地の女性は石を挟んで出産を遅らせるという習慣も伝えられて
いる。
 やがて筑紫へ帰還した皇后は御子を出産。筑紫国末まつ羅らの県あがた、玉島の里で
は、御子が健やかに育つよう、裳の糸を抜き取って釣り糸にして年あ魚ゆを釣り占った。
以降この地では四月に女性が裳の糸を抜いて釣りをすることが恒例になったという。

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