【第五章の人々】
弟オト橘タチバナ比ヒ売メノ命ミコト
自らを犠牲にして海の神の怒りを鎮めたヤマトタケルの妃
ヤマトタケルの妃で、『日本書紀』ではオシヤマノスクネの娘とされる。ヤマトタケル
の東征の際に、走はしり水みずの海(浦賀水道)の神が暴風を起こして行く手を遮ったと
ころ、オトタチバナヒメが自ら入水して神の心を鎮めた。そのためヤマトタケルは無事に
海を渡ることができた。七日後に、ヒメの櫛だけが岸に流れ着いたという。
『古事記』において妃として果たした彼女の役割はこれだけだが、『常陸ひたち国風土
記』にはヤマトタケルとののどかな逸話が伝えられている。多た珂が郡ではヤマトタケル
とともに山海の獲物を獲る競争をしたという記載が見られるのだ。
神奈川県横須賀市には走水神社があり、また千葉県茂も原ばら市には橘神社があって、
ともにオトタチバナヒメを祀っている。とくに後者には社殿裏にオトタチバナヒメの陵を
伝えている。
東国を平定したヤマトタケルは、足あし柄がら峠とうげを越えるとき「あづまはや(我
が妻よ、ああ)」と三度嘆き、この「あづま」が足柄峠より東の国、つまり東国をさす言
葉になったという。