【第五章の人々】
大オホ帯タラシ日ヒ子コ淤オ斯シ呂ロ和ワ気ケノ天スメラ皇ミコト(景行天皇)
『古事記』と『日本書紀』で正反対の顔を持つ、ヤマトタケルの父
第十二代天皇オホタラシヒコオシロワケ(景行天皇)はイクメイリビコ(垂すい仁にん
天皇)の子で、母はヒバスヒメノミコト。『日本書紀』において九州遠征を行なって各地
を平定したとされている。『肥ひ前ぜん国風土記』や『豊ぶん後ご国風土記』にはこの天
皇が遠征し、土つち蜘ぐ蛛もを数多く征討する逸話が登場する。
オホタラシヒコには、諸国に屯倉みやけや田部を置いたなどの事績があるが、特筆すべ
きは皇后、皇妃らとの間に八〇人もの皇子・皇女をなしたとされることであろう。そのひと
りがヤマトタケルである。
ヤマトタケルがオホタラシヒコに命じられて、西征、東征を展開するのは、オホタラシ
ヒコの時代に全国支配を推進しようという意識が明確になったためであろう。そのため、
「記紀」の景行天皇の時代の記述には英雄伝説的要素が強い。
景行天皇の在位は六十年におよび、『日本書紀』では百六歳、『古事記』では百三十七
歳で崩御したと記されている。葬られたのは奈良県天理市にある山やま辺べの道みちの上
えの陵みささぎと伝わる。