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花婿の正体(5)
日期:2024-01-29 14:07  点击:266

「残念ながらわからないよ。考えられるとしたら、自分の署名であることを否認するため

ということかな。婚約不履行で訴えられたときのために」

「いや、そういうことじゃないね。だが、とりあえず手紙を二通書くことにしよう。それ

で事件は解決するはずだ。一通はシティにある会社へ宛てて、もう一通はあの娘さんの義

理の父親、ウィンディバンク氏宛てだ。彼には明日あした午後六時にここへこられるかど

うかたずねることにしよう。男性の親族を呼んで話をつけたほうがいいだろうからな。あ

とはもう、手紙の返事がくるまですることはないよ、ワトスン先生。だからしばらくこの

件は棚上げにしておこう」

 ぼくは様々な理由から、ホームズの鋭い推理力や並はずれた行動力を信頼していた。だ

から、彼が自分に託された奇妙な事件について、こんなに確信に満ちてゆったりと構えて

いるのは、なにかはっきりした根拠があるからにちがいないと思った。ぼくはいままでに

一度だけ、ホームズが失敗した事件を知っている。それはボヘミア王とアイリーン・アド

ラーの写真に関する事件だった。しかし、あの不気味な『四つの署名事件』や『緋ひ色い

ろの研究事件』の異常な状況を思い返してみると、もしホームズが解明できない謎があっ

たとしたら、それはよほど複雑にもつれた謎にちがいないと思われた。

 ぼくはそのあと、まだ黒い陶製のパイプをふかしているホームズを残して家に帰った。

翌日の夕方にまたくるときには、メアリー・サザランドの消えた花婿の正体を知る手がか

りが、すっかりホームズの手中におさまっていることだろうと確信していた。

 当時、ぼくは重症の患者をひとり抱えていた。翌日は一日中、その患者に手を取られ、

六時近くになってようやく手が空いたので、辻つじ馬車に飛び乗り、ベイカー街に駆けつ

けた。途中、この小さな事件の決着の場面に立ち会えないのではないかとひやひやしてい

たが、着いてみると、シャーロック・ホームズはひとりで細長い体を丸めて肘ひじ掛かけ

椅い子すにすわり、うたた寝をしていた。あたりにはびんや試験管がずらりと並び、塩酸

のにおいが鼻を刺した。どうやらホームズはその日一日中、大好きな化学実験にふけって

いたらしい。「どうだい、謎は解けたかい?」ぼくは部屋に入ってたずねた。

「うん。硫酸水素バリウムだった」

「ちがうちがう、事件の謎だよ!」

「ああ、そっちか! てっきり、いままで実験していた塩えんのことかと思ったよ。だ

が、事件のほうにはもとから謎なんてなかったよ。きのうもいったとおり、細部にいくつ

かおもしろい点はあったがね。しかし、ひとつだけ困った点があるんだ。残念ながら、こ

の事件の場合、悪党をやっつける法律が存在しないんだよ」

「その悪党というのはだれなんだい? そいつはなんのためにサザランド嬢を捨てたん

だ?」

 ぼくがその言葉を言い終えて、ホームズがそれに答えて口を開く前に、廊下から大きな

足音が聞こえてきて、扉がノックされた。

「あの娘の義理の父親のジェイムズ・ウィンディバンク氏だろう。六時にここにくると返

事があったからね。どうぞ!」

 入ってきたのはがっしりした中背の男性だった。年齢は三十くらい、ひげはなく、顔色

は土気色だ。おだやかな、媚こびるような物腰だが、灰色の目は人を射ぬくように鋭い。

ぼくとホームズをいぶかしげに交互に見ると、すり切れて手て垢あかのついたシルクハッ

トをサイドボードの上に置き、軽く一礼してすぐ近くの椅子へにじりよった。

「こんばんは、ジェイムズ・ウィンディバンクさん。このタイプ打ちの手紙は、あなたが

お出しになったものですよね。六時にここへくると書いてありましたよ!」ホームズが

いった。

「ええ、すみません、遅れてしまいまして。なかなか自由がきかない身ですので。娘がつ

まらないことでご面倒をおかけしましたようで、申しわけありません。わたしとしては、

こんな内輪の恥を人様にさらさないほうがいいと考えておりまして、ですから娘がここに

くるのも反対だったのです。しかしあの娘は、お気づきかもしれませんが、非常に興奮し

やすくて、あとさきのことを考えずに行動してしまうところがありまして、こうと決めた

らなかなか人のいうことなど聞かないんです。もちろん、わたしはあなたが気に入らない

というわけではありませんよ。警察の方ではないらしいですし。しかし、こういった家庭

内のいざこざを世間に知られるのは、うれしいことではありません。それに、あのホズ

マー・エンジェルという男を見つけることなんてできっこないし、そしたら無駄な出費に

なりますでしょう?」

「そんなことはありません」ホームズが静かにいった。「わたしはホズマー・エンジェル

氏をかならず見つけることができると思っていますよ」

 ウィンディバンク氏はぎょっとして手袋を落とした。「それはうれしいですね」

「じつはおもしろいことがありましてね」ホームズは話し出した。「タイプライターには

人間の筆跡と同じくらい個性があるんですよ。新品に近いようなものでないかぎり、二つ

として同じようには打てない。どれかの文字がほかの文字よりすり減っていたり、片側だ

けすり減っていたりするものです。たとえばウィンディバンクさんからいただいた手紙を

見ると、eという文字がどれもかすれているし、rは下の部分が少し欠けているのがわか

ります。ほかにも十四の特徴がありますが、いちばんはっきりしてるのはその二つです」

「うちの会社では、書状をつくるときにかならずこのタイプライターを使うので、少し傷

んでいるのでしょう」客はそう答え、小さな目をきらりと光らせてホームズに鋭い視線を

送った。

「ではこれからもっとおもしろいものをお見せしましょう、ウィンディバンクさん。ぼく

は最近、タイプライターと犯罪の関係について、ちょっとした研究モノ論文グラフをまた

新たに書こうかなと思っているんです。このテーマについては、これまでもけっこう関心

を寄せてきたんですよ。ここに、行方不明になった男性からきたとされる四通の手紙があ

ります。すべてタイプ打ちされていて、どの手紙でもeがかすれていて、rの下のほうが

欠けている。それだけでなく、拡大鏡でみれば、さっきわたしがあなたの手紙に関して申

し上げた十四の特徴も認めることができますよ」

 ウィンディバンク氏は椅子からぱっと立ち上がると、自分の帽子をつかんだ。「こんな

ばかげた話につきあっている暇はありませんよ、ホームズさん。ホズマー・エンジェルを

つかまえられるというならつかまえて、それからまた知らせてください」

「わかりました」ホームズはそういって扉の前に進み出ると、鍵かぎをかけた。「じゃ

あ、お知らせしましょう。ホズマー・エンジェルをつかまえましたよ!」

「なに! どこだ!」ウィンディバンク氏は叫んで、唇まで真っ青になり、わなにかかっ

たネズミのようにキョロキョロあたりを見まわした。

「ああ、無駄ですよ。もうどうしたってだめです」ホームズはおだやかにいった。「もう

逃げられませんから。ウィンディバンクさん、あまりにも見え透いてましたよ。しかも

さっきは、こんな簡単な問題がわたしに解けるはずがないとおっしゃった。ずいぶんなご

あいさつだ。さあ、もういいからすわりなさい。じっくり話し合いましょう」

 客は崩れるように椅子にすわりこんだ。顔は死人のように青ざめ、額には汗が光ってい

る。「だが──だが、法には触れてないぞ」口ごもりながらいった。


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09/30 05:28