「その状況証拠というのが、なかなかあてにならないもんでね」ホームズは注意深くこた
えた。「一見、はっきりとあるものを指しているように見えて、視点を変えると同じくら
いはっきりと、まったく別のものを指していたりする。しかし、この事件では、被害者の
息子が非常に不利な状況にあることは認めねばなるまい。じっさい彼が犯人である可能性
も高い。しかし近所には、地主のターナー氏の娘をはじめ、ジェイムズ・マッカーシーの
無実を信じている人も何人かいて、そういった人々が、彼のために真相を解明してくれる
よう、レストレイド警部に頼んだんだ。レストレイド警部といえば、ワトスンも覚えてい
るだろう。緋ひ色いろの研究の事件のときの警部だ。だが、レストレイド警部はかなり苦
戦しているらしくて、ぼくに応援を求めてきた。そういうわけで、ぼくら二人の中年紳士
は、家でゆっくり朝食を消化すべきところを、時速五十マイルで西に向かっているんだ」
「しかしこの事件はあまりにも事実がはっきりしていて、きみも手柄のたてようがないん
じゃないか?」
「明白な事実ほどあてにならないものはないんだよ」ホームズは笑った。「それに、こっ
ちはレストレイド警部がまったく気づかなかったような、明白な事実を新たに見つけるか
もしれない。きみはぼくのことをよく知っているから、自慢していってるとは思わないだ
ろうが、ぼくはレストレイドにはとてもまねできない、理解すらできない方法で、彼の説
を立証することも論破することもできる。手近な例で説明しようか。ぼくは、きみの寝室
の窓は右側にあることがわかる。レストレイド警部はそんなあきらかなことでも気づくか
どうか疑問だね」
「どうして──!」
「ワトスン君、ぼくはきみをよく知っている。軍人らしい身だしなみのよさは、きみの特
徴だ。きみは毎朝ひげを剃そるだろう。いまの季節なら、明かりは使わず、太陽の光で
剃っているはずだ。しかしきみの剃り方は、顔の左側へいくにつれていいかげんになり、
左あごの裏側にいたっては、まったくずさんな仕上がりだ。そのことから、左側が右側に
くらべて光があたりにくいことはあきらかだ。きみのようにきっちりした人間が、左右か
ら同じ光を受けながら自分の顔を見て、そんな仕上がりで満足するはずがないからね。こ
れは観察と推理のささいな例にすぎないけど、それこそがぼくの得意分野メチエなんだ。
そして、ぼくらを待ち受けている事件の調査においても、それが少しは役に立つかもしれ
ない。たとえば、検視審問であきらかにされた小さな事実のなかにも、ひとつふたつ、検
討に値するものがある」
「どんなことだい?」
「ジェイムズ・マッカーシーが逮捕されたのは、事件の直後ではなくて、ハザリー農場に
もどってかららしい。地元警察の警部がジェイムズに逮捕を告げたとき、彼はそういわれ
ても驚きません、当然の報いです、といったそうだ。この発言は当然ながら、陪審員たち
の心に残っていたかすかなためらいもぬぐい去ってしまった」
「それは自白だろう!」ぼくは思わず叫んだ。
「いや、そうではない。なぜなら彼はその後、無罪の申し立てをしたからだ」
「こんなにいくつも有罪を証明するような事実があがっているのに、そんなことを口走っ
たら、よけいにあやしく思われるだけじゃないか」
「いや、とんでもない。ぼくにはいまのところ、その発言こそが、雲の切れ間から差しこ
む光明に見える。いくら無邪気な若者でも、この状況が自分にとって暗あん澹たんたるも
のだということくらい、わからないはずはない。もしマッカーシーの息子が逮捕されるこ
とに驚いたり、憤慨してみせたりしていたら、それこそあやしいとぼくは思う。なぜな
ら、そんな驚きや怒りは、この状況では不自然だが、知略に走る人間にとっては最善の策
に見えるからだ。ジェイムズ・マッカーシーが状況を素直に受け入れたということは、彼
が無実であるか、さもなければよほど自制心のある意志の固い人間かのどちらかだといえ
る。逮捕は当然の報いだといった発言にしても、状況を考えれば不自然ではない。なんと
いっても彼は父親の遺体のそばにいたのだし、その日は子供の立場を忘れて父親と口論し
たあげく、管理人小屋の娘の重大な証言によると、父に向かって手まで振りあげていたと
いうのだから。彼の発言には、自責の念や悔恨が表れている。それはやましさというよ
り、健全な精神の表れだとぼくには思えるんだ」
ぼくは首を振った。「もっとあやふやな証拠でも死刑になった者がたくさんいる」
「そのとおり。多くの人間が、冤えん罪ざいによって死刑にされてきた」
「その若者は事件について、どのように釈明しているんだ?」
「残念ながら、彼の支持者を勇気づけるような内容ではないよ。しかし、示唆に富むポイ
ントも少しはある。ここに書いてあるから、自分で読んでごらん」
ホームズは新聞の束からヘレフォード州の地方紙を一部取り上げて、折りたたみ、不運
な若者が事件について供述した内容を綴つづった記事を指差した。ぼくは客車のすみにす
わって、その記事をじっくりと読んだ。そこにはつぎのように書かれていた。
「そのあと被害者の息子、ジェイムズ・マッカーシーが呼ばれて、つぎのように証言し
た。『ぼくは三日前からブリストルにいて、この前の月曜日、つまり三日の朝に家に帰っ
たばかりでした。ぼくが家に着いたとき、父さんは留守で、馬丁のジョン・カッブといっ
しょに馬車でロスへいったとメイドから聞きました。それからしばらくして、庭で二輪馬
車の車輪の音が聞こえたので窓から外を見ると、父さんが馬車からおりて、急いで庭から
出ていくところでした。でも、どの方向へいったかはわかりませんでした。そのあとぼく
は自分の銃を持って、ボスコム池のほうへ歩いていきました。池の向こう側のウサギの巣
のある場所へいくつもりでした。途中で猟番のウィリアム・クラウダーに会いました。そ
れはクラウダーが証言していたとおりです。でも、ぼくが父さんを追っていたというクラ
ウダーの考えはまちがいです。ぼくは父さんが前にいるとはぜんぜん知らなかった。で
も、池まで百ヤードほどのところで〝クーイー!〟という叫び声が聞こえました。それは
ぼくと父さんが互いを呼び合うときにいつも使っている合図です。そこでぼくは先を急
ぎ、父さんが池のほとりに立っているのを見つけました。父さんはぼくを見てとても驚い
たようすで、ここでなにをしているんだ、と怒ったようにたずねました。そのあと言葉を
交わすうちに激しい口論になって、もう少しで殴り合いになるところでした。父さんはす
ぐかっとなる人なんです。ぼくは父さんのかんしゃくが手に負えなくなっていくのを見
て、父さんを置いてハザリー農場に帰ろうと思いました。ところが、ほんの百五十ヤード
ほどいったところで、うしろから恐ろしい悲鳴が聞こえてきたんです。大急ぎで引き返す
と、父さんが頭にひどい傷を負って倒れていました。ぼくは銃を放り出して父さんを抱き
かかえました。でも、父さんはほとんどそれと同時に息絶えてしまいました。ぼくは数分
間、父さんのそばでひざまずいていましたが、そのあとターナーさんの地所の管理人小屋
へ向かいました。そこがいちばん近かったので、助けを求めようと思ったのです。ぼくが
引き返したとき、父さんの近くにはだれもいませんでした。だから、父さんがどうやって
傷つけられたのか、まったくわかりません。父さんは人から好かれるタイプではありませ
ん。ちょっと冷たくて、人を寄せつけない雰囲気があるからです。でも、ぼくの知るかぎ
り、とくに敵対する人物はいなかったと思います。以上がこの件についてぼくの知ってい
ることのすべてです』