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唇のねじれた男(3)
日期:2024-01-29 15:17  点击:252

「ワトスン、きみは沈黙というすばらしい才能に恵まれているね。だからこそきみは、ぼ

くにとってかけがえのない相棒なんだ。誓ってもいいが、ぼくには話し相手がいるという

ことが非常に重要なんだよ。なにしろ、ぼくの考えていることは、あまり愉快なことじゃ

ないからね。ぼくは今晩、ぼくたちを出迎えてくれるかわいらしい女性に、なんといった

らいいか考えていたんだ」

「ぼくはまだなにも知らないってことをお忘れなく」

「リーへ着くまでのあいだに、事件の要点を話すくらいの時間はあるだろう。一見、ばか

ばかしいほど単純に見えるが、ぼくはまだなんの手がかりもつかめていない。いや、手が

かりはたくさんあるんだが、最初に手をつける糸口が見つからないんだ。ではワトスン、

これから事件について簡潔、明めい瞭りように話すから、できれば暗中模索のぼくに光明

を与えてくれ」

「じゃあ、早く話して」

「数年前──正確には一八八四年の五月だ──リーにひとりの紳士が現れた。ネヴィル・セ

ントクレアと名乗り、見るからに金持ちそうだった。大きな別荘を買って、庭をきれいに

しつらえ、豪勢に暮らしはじめた。徐々に近隣に友だちもでき、一八八七年に地元の酒造

業者の娘と結婚し、二人の子供をもうけた。これといった職業には就いていないが、いく

つかの会社に出資していて、毎朝ロンドンまで出かけ、夕方五時十四分キャノン街スト

リート駅発の列車で帰ってくる。歳は三十七歳で、おだやかな性格のよい夫であり、やさ

しい父親であり、だれからも好かれる人物だ。ついでに現在の時点での借金は、われわれ

の確認できる範囲でいうと、ぜんぶで八十八ポンド十シリング、いっぽうで自分名義の預

金がキャピタル・アンド・カウンティーズ銀行に二百二十ポンドある。したがって、金銭

的な問題がセントクレア氏を悩ませていたとは考えられない。

 先週の月曜日、ネヴィル・セントクレア氏はいつもより早くロンドンに出かけた。出か

ける前に、今日は大事な用件が二つあるといい、帰りには幼い息子のために積木のおも

ちゃを買ってくるといったそうだ。ところがまったく偶然にも、その日、セントクレア氏

が出かけた直後に、夫人に電報が届いた。内容は、夫人が待ちに待っていた貴重品の小包

が、アバディーン汽船会社のオフィスに届いているというものだった。ロンドンの地理に

詳しい人間なら知っているだろうが、アバディーン汽船会社のオフィスはフレズノ街にあ

る。今夜きみがぼくを見つけたアッパー・スワンダム小路から枝分かれした通りだ。セン

トクレア夫人は昼ごはんを食べてから出発して、シティに向かい、少し買い物をして汽船

会社のオフィスにいき、小包を受け取って、ちょうど四時三十五分にスワンダム小路を歩

いていた。そこから駅へもどるつもりだったのだ。ここまではわかってくれたかい?」

「よくわかった」

「きみも覚えているだろうが、月曜日はことのほか暑い日で、セントクレア夫人はゆっく

り歩きながら、辻つじ馬車がこないかとあたりを見渡していた。たまたま迷いこんだあの

あたりの雰囲気がいやだったからだ。そうやってアッパー・スワンダム小路を歩いている

と、とつぜん悲鳴のような叫び声が聞こえた。夫人はその声のほうを見て、全身が凍りつ

くほど驚いた。夫が近くの家の三階の窓からこちらを見下ろして、まるで手招きでもする

ように手を振っていたのだ。窓はあいていて、夫人には夫の顔がはっきり見えたが、その

顔はひどく興奮したような面持ちだったという。夫人に向かって狂ったように手を振って

いたかと思うと、とつぜん窓から姿を消したが、それがあまりにも唐突で、なにか抵抗で

きない力でうしろから引っぱられたように見えたらしい。夫人が女性ならではの鋭い観察

眼でとらえた奇妙な点は、セントクレア氏が家を出たときに着ていた黒っぽいコートをは

おりながら、シャツのカラーもネクタイもつけていなかったことだった。

 夫になにか起こったと確信した夫人は、石段を駆けおり──というのも、その家はほかで

もない、きみが今夜ぼくを見つけた阿片窟だった──玄関から表の部屋を通って二階へ通じ

る階段をのぼろうとした。しかし階段の下で、夫人はさっきぼくがいったごろつきのイン

ド人経営者にはばまれた。ごろつきは子分のデンマーク人の手を借りて、夫人を押しもど

し、外へ放り出した。夫人ははかりしれない恐怖と不安に襲われ、小路を駆け抜けて、フ

レズノ街で運よく、多くの巡査を引き連れてパトロールに向かう警部と出くわした。警部

は二人の巡査を連れて夫人とともに阿片窟へ向かい、あいかわらず抵抗する経営者たちを

退けて、セントクレア氏が目撃された部屋までのぼった。だが、セントクレア氏の姿はな

かった。じっさい、その階には、そこを住み処かとしているひどく醜い容よう貌ぼうの足

の不自由な男以外にだれもいなかった。その男も経営者のインド人も、昼以降、通りに面

したその部屋にはだれもいなかったと言い張った。そのあまりにも強い主張に、警部もた

じろいで、夫人が勘違いしたのだろうと思いかけた。そのとき夫人があっと叫んで、テー

ブルの上に置いてあった小さなマツ材でできた箱に飛びつき、ふたを引きはがした。なか

から勢いよくこぼれ出したのは、子供の積木だった。夫が買って帰ると約束していたおも

ちゃだ。

 この発見と、足の不自由な男が目に見えて狼ろう狽ばいしだしたことから、警部はこれ

は深刻な事態だと悟り、家のなかが入念に調査された。その結果はすべて忌まわしい犯罪

を指し示していた。表の部屋は質素にしつらえた居間で、隣の小さな寝室とひと続きに

なっており、寝室のほうは埠ふ頭とうの裏手を見下ろすことができる。埠頭と寝室の窓の

あいだに狭い空き地があって、引き潮のときには地面が見えているが、満ち潮になると、

少なくとも四フィート半は水があがってくるという。寝室の窓は大きくて、下から押し上

げてあけるタイプだが、調査の結果、窓の下枠に血けつ痕こんが見つかり、木の床の上に

も血の跡が点々とついていた。表の部屋のカーテンの裏に、セントクレア氏の衣類が押し

こまれていた。靴も靴下も帽子も時計も、コート以外はすべてそこにあったのだ。これら

の衣類には、乱暴を働かれた跡はなく、ほかにセントクレア氏の形跡はなにも見つからな

かった。出口がほかにないことから、セントクレア氏はあきらかに窓から出ていったと考

えられる。窓枠の上の不吉な血痕からして、悲劇のあった時刻がちょうど満潮にあたって

いたとはいえ、セントクレア氏がどこかへ泳ぎ着いてぶじ助かったという見込みはほとん

どない。

 ところで、この件に直接関与していると思われる悪党たちに関していうと、水夫あがり

のインド人経営者は、凶悪きわまりない前科の持ち主として有名だが、セントクレア夫人

の話によると、彼はセントクレア氏が窓際にいた数秒後には階段の下にいたことになって

いる。したがって、このインド人が直接手を下したということはありそうもない。本人

は、まったくなにも知らないという弁明に終始し、足の不自由な下宿人ヒュー・ブーンの

行動についてもまったく関知してないと主張する。さらに、行方不明のセントクレア氏の

衣類がなぜここにあったのかも、見当がつかないという。


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09/30 03:25