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唇のねじれた男(4)
日期:2024-01-29 15:17  点击:280

 インド人の経営者についてはそんなところだ。こんどは薄気味の悪い足の不自由な男の

ほうだが、彼はこの阿あ片へん窟くつの三階に住んでいて、セントクレア氏を最後に目撃

した人間のはずだ。名前はヒュー・ブーンといい、そのぞっとするような顔は、シティの

界かい隈わいではよく知られていた。警察の取り締まりをまぬがれるために、ろうマッチ

を売っているように見せかけてはいるが、じっさいは物もの乞ごいだ。スレッドニードル

街を少しいくと、きみも知っているだろうが、左手に壁が少し引っこんだ場所がある。そ

こがヒュー・ブーンの縄張りだ。あぐらをかいて少しばかりのマッチをひざの上にのせた

ようすが憐あわれみを誘い、舗道の上に置いた脂で汚れた革の帽子に小銭の雨が細々と降

り注ぐ。ぼくはこの男を以前に何度か観察したことがあって、もちろんこんなふうに仕事

で知り合うことになろうとは夢にも思わなかったが、彼が短時間で稼ぐ小銭の量には驚か

されたよ。なにしろあのご面相だから、道ゆく人々の目を引かずにはいられないんだ。オ

レンジ色のぼさぼさの髪に青白い顔をしているんだが、その顔に恐ろしい傷跡があって、

そのせいで皮膚がひきつり、上唇が引っぱられてめくれあがっている。あごはブルドッグ

のようで、いやに鋭い目は黒く、それが赤い髪の毛と奇妙なコントラストを見せている。

そういった外見のすべてが、やつをその他大勢の乞こ食じきからいっそう際立たせている

んだが、加えて機転もきき、通行人からどんな冷やかしの言葉を投げられても、いつでも

うまく受け答えができるんだ。その男が、あの阿片窟の下宿人で、ぼくたちが探している

紳士を最後に見かけた人物として浮かび上がってきたわけだ」

「だが、足が不自由なんだろう? そんなやつが一人前の男に対して、ひとりでなにがで

きるというんだ?」

「足が不自由といっても、引きずって歩くくらいはできるんだ。それ以外は力もあるし、

体つきもいい。きみも医者としての経験から知っているだろうが、どこか体の一部が悪い

と、その他の部分が特別強くなって、埋め合わせをすることがよくある」

「その先を聞かせてくれ」

「セントクレア夫人は窓枠の血を見て気絶してしまい、警察が馬車に乗せて家まで送り届

けた。夫人がいても捜査の助けにはならないからね。この事件の担当のバートン警部は、

阿片窟の家を慎重に調べたが、手がかりになるようなものはなにも見つけられなかった。

だが、ヒュー・ブーンをすぐに逮捕しなかったのはいかにもまずかった。たとえ数分でも

自由の身でいるあいだに、やつはインド人のごろつきと相談するチャンスがあったから

だ。しかしこのミスもすぐに正され、ヒュー・ブーンは逮捕、身体検査をされたが、犯罪

の証拠になるようなものはなにも出てこなかった。シャツの右袖そでに血のしみた跡が

あったが、ブーンは自分の薬指の爪の近くの傷をさして、その傷から出た血だといい、少

し前に窓際にいったので、窓枠の上の血もその傷から落ちたにちがいないといった。さら

にネヴィル・セントクレアという人物を見たことはぜったいにないと言い張り、自分の部

屋にセントクレア氏の衣類があったことについては、警察と同じくらい驚いているといっ

た。セントクレア夫人が窓際にいる夫の姿を見たと主張していることに対しては、妄想に

取りつかれたか夢を見ていたかどっちかだろうという。その後ブーンは大声でわめいて抵

抗したものの、警察署に連行され、いっぽう警部は現場に残った。潮が引けば、なにか新

たな手がかりが見つかるかもしれないと思ったからだ。

 じっさい、手がかりは見つかった。といっても、水が引いたあとの泥のなかに見つかっ

たのは、警部たちが想像していたような恐ろしいものではなかった。つまり、潮が引くに

つれて見えてきたのは、セントクレア氏の死体ではなく、コートだった。そのポケットに

なにが入っていたと思う?」

「想像もつかないね」

「まあ、そうだろう。ポケットというポケットに半ペニー銅貨とペニー銅貨が詰めこまれ

ていたんだ。ぜんぶで四百二十一枚のペニー銅貨と二百七十枚の半ペニー銅貨が入ってい

た。だからこそそのコートは潮で押し流されなかったんだよ。しかし人間の死体となると

話は別だ。埠頭とあの家のあいだには激しい潮の流れがある。重りを詰めたコートだけが

残って裸の死体は押し流されたということは十分に考えられる」

「しかしほかの衣類はぜんぶ部屋で見つかったのだろう? コートだけは死体に着せられ

ていたのかい?」

「いや、ちがう。その点は納得がいくように説明できるだろう。あのブーンという男がネ

ヴィル・セントクレア氏を窓から突き落としたとしよう。それはだれにも目撃されていな

いはずだ。ブーンはそれからなにをするか? もちろん、すぐに思いつくのは、証拠とな

る衣類を始末することだ。そこでブーンはコートをつかみ、外へ投げ捨てようとするが、

そのとき、コートは沈まずに浮かんでしまうだろうと気づく。ぐずぐずしている暇はな

い。下でもめている音がする。夫人が階段をのぼろうとしているのだ。たぶんブーンはイ

ンド人の共犯者から、警察が通りをパトロールしていることも聞かされていただろう。一

刻を争う事態だ。ブーンは物乞いで稼いだ小銭をしまってある場所へいき、ポケットに詰

めこめるだけの銅貨を詰めこんで、コートがかならず沈むようにした。それを外へ投げ捨

て、ほかの衣類も同じようにしようと思ったが、階段を駆けのぼってくる音が聞こえたの

で、なんとか窓だけ閉めたところへ警察がやってきたというわけだ」

「たしかに納得できる話だね」

「まあ、ほかにいい説明がないから、これをたたき台にしておこう。ブーンはさっきも

いったとおり、逮捕されて警察署に連行された。しかしやつには不利になるような前科は

まったくない。長年物乞いをしていたが、なにも悪さはせず、おとなしく暮らしていた。

まあ、以上がこれまでの事件の概要だが、これから解明すべき問題点は、ネヴィル・セン

トクレア氏が阿片窟でなにをしていたか、そこで彼になにが起こったか、いまどこにいる

のか、ヒュー・ブーンはセントクレア氏の失しつ踪そうにどう関わっているのか、だ。こ

れらすべての謎が、解明とは程遠い状態にあるんだよ。正直いって、こんな事件はぼくの

いままでの経験のなかでもちょっと見あたらない。一見すごく単純そうなのに、じつは非

常に難しいときてる」

 シャーロック・ホームズが一連の奇妙な出来事を話しているうちに、ぼくたちはロンド

ンの郊外を走りつづけ、ぽつぽつと点在していた家もなくなって、両側を生垣ではさまれ

たでこぼこの田舎道に入った。ホームズがちょうど話を終えたころ、ふたたび家が点在す

る村にさしかかった。まだ窓から明かりがまたたいている家もある。そんな村を二つ通り

すぎた。

「リーの町はずれまでやってきたよ」ホームズがいった。「馬車でちょっと走っただけだ

が、もう三つもイングランドの州を通ってきたわけだ。ミドルセクス州から始まって、サ

リー州の一角を通り、ケント州まできた。木立の向こうに明かりが見えるだろう? あれ

が杉屋敷だ。あの明かりの下で耳をそばだてている夫人は、きっともうぼくたちの馬の蹄

ひづめの音を聞きつけたにちがいない」

「だが、どうしてきみはベイカー街で仕事をしないんだい?」

「それは、ここで調べないといけないことがたくさんあるからだよ。セントクレア夫人は

ぼくが二つの部屋を自由に使えるようにしてくれた。きみはぼくの友人で協力者だから、

夫人はきっと歓迎してくれるはずだ。じつをいうとワトスン、ぼくは夫人と顔を合わすの

がつらいんだ。ご主人の消息について、なんのニュースも持ち帰れなかったのでね。さあ

着いた。どう! どう!」


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09/30 03:32