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唇のねじれた男(7)
日期:2024-01-29 15:18  点击:280

「今日の当直はだれだい?」ホームズがたずねた。

「ブラッドストリート警部です」

「やあ、ブラッドストリート警部、お元気ですか?」背の高い恰かつ幅ぷくのいい警官

が、先のとがった帽子をかぶり、胸に飾りひものついた制服姿で石畳の廊下を歩いてき

た。

「ちょっと相談があるんですがね、警部」

「いいとも、ホームズ君。わたしの部屋へきたまえ」

 そこは小さな事務室のような部屋で、大きな帳簿がテーブルの上にのっていて、壁から

電話が突き出ていた。警部は机の前にすわった。

「どういう用件かな、ホームズ君?」

「ブーンという乞こ食じきの件です──ケント州リーのネヴィル・セントクレア氏の失しつ

踪そうに関連してつかまったやつですよ」

「ああ、ブーンならまだ調べることがあって、再勾こう留りゆうされている」

「そう聞いてます。ここにいるんですね?」

「独房にいる」

「おとなしくしていますか?」

「ああ、面倒はかけないよ。しかし汚いやつだ」

「そうですか?」

「そうとも。手だけは洗わせたが、顔なんかは鋳掛屋みたいに真っ黒だ。まあ、刑が確定

すれば刑務所内できちんと風ふ呂ろへ入れられるが。きみも会ってみれば、わたしのいっ

てることがわかると思うよ」

「ぜひ会いたいんです」

「ほう? それはぜんぜんかまわんよ。じゃあ、いこうか。かばんはここに置いていきた

まえ」

「いや、持っていきます」

「よかろう。さあ、こっちだ」警部はぼくたちを案内して、かんぬきのついた扉をあけ、

らせん階段をおりて、漆しつ喰くいを塗った廊下に出た。両側にずらりと扉が並んでい

る。

「右側の三番目の扉がやつの独房だ。さあ、着いた!」警部は扉の上部の羽目板をそっと

押しあけて、なかを見た。

「眠っている。よく見えるぞ」

 ぼくとホームズは格子窓に顔を近づけた。囚人は顔をこちらに向けて寝転んでいた。

ぐっすり眠っているらしく、ゆっくりと大きな息をしている。中肉中背で、いかにも汚ら

しいぼろをまとい、色もののシャツがコートの裂け目からのぞいていた。警部がいったと

おり、恐ろしく汚いが、顔を覆っている垢あかも、そのぞっとするような醜さを隠すこと

はできなかった。古傷が太いみみず腫ばれとなって、片方の目からあごにかけて走ってい

る。そのせいで皮膚が引きつれて、上唇の一端がめくれあがり、歯が三本むき出しになっ

ている。いつも歯をむいてうなっているような表情だ。もじゃもじゃの真っ赤な髪がうっ

とうしくのびて、額から目のあたりまでかかっている。

「ひどい顔だろう?」警部がいった。

「たしかに洗ってやる必要がありますね」ホームズがいった。「こんなことだろうと思っ

て、僭せん越えつながら道具も持ってきました」ホームズは旅行かばんをあけて、驚いた

ことに、やけに大きな入浴用のスポンジを取り出した。

「はははっ! あんたも物好きな人だ」警部は笑った。

「さあ、お手数ですが、できるだけ静かに扉をあけてもらえますか? すぐにあいつを

ずっと男前にしてやりますよ」

「ふむ。まあ、断る理由もないな。こんな汚いやつがいたら、わが裁判所にとっても恥に

なるからな」警部はそういって鍵を錠前に差しこんで扉をあけた。

 われわれは三人でそっと独房のなかへ入った。囚人は少し寝返りをうって、ふたたび深

い眠りについた。ホームズは水差しの上にかがみこんで、スポンジを湿らせ、それで囚人

の顔を縦横に二回、強くこすった。

「さあ、ご紹介しましょう」ホームズが叫んだ。「こちらはケント州はリーのネヴィル・

セントクレア氏です」

 ぼくは生まれてこのかた、こんな光景は見たことがなかった。囚人の顔が、スポンジの

下でまるで木の皮みたいにずるりとはがれたのだ。茶色くキメの粗い肌が消えた。顔を斜

めに走っていた恐ろしい傷跡も消えた。気味悪く歯をむき出しにしていたねじれた唇も消

えた。もじゃもじゃの赤い髪の毛もぐっとひと引きすると取れて、ベッドの上に身を起こ

したのは、青白い、悲しげな顔つきの男性だった。髪の毛は黒く、肌はすべすべしてい

る。寝ぼけて目をこすりながら、びっくりしたようすであたりを見まわしている。そし

て、正体がばれたことにはっと気づき、悲鳴をあげて体を投げ出し、枕に顔を埋めた。

「なんということだ!」警部が叫んだ。「これはたしかに行方不明の男性だ。写真で見た

からわかるぞ」

 囚人は、もうどうにでもなれと思ったのか、ふてぶてしい態度で振り返った。「そうだ

としたら、わたしはどういう罪に問われているんですか?」

「もちろんネヴィル・セントクレア氏の殺害──あれれ、それは成立しないぞ。これは自殺

未遂にでもしないと起訴はできないかな」警部はそういってにやりと笑った。「もう二十

七年間警察にいるが、こんなおかしな事件は初めてだ」

「もしわたしがネヴィル・セントクレアだとしたら、なんの犯罪もなかったということだ

から、不法に勾留されていることになる」

「犯罪にはならない。しかし、あなたは非常に大きなあやまちを犯した」ホームズがいっ

た。「奥さんを信頼しておけば、こんなことにはならなかったのですよ」

「問題は妻ではない。子供たちだ」囚人はうめいた。「子供たちに、父親を恥ずかしいと

思わせたくなかった。ああ! だがばれてしまった! どうしたらいいんだ!」

 シャーロック・ホームズは囚人のかたわらのベッドの上にすわり、その肩をやさしくた

たいた。

「もし法廷で事の真相をあきらかにすることになれば、世間に知れ渡るのは避けられませ

ん。しかしあなたをどんな罪でも起訴することはできないと警察に納得させることができ

たら、事の詳細が新聞にのるようなことはないでしょう。ブラッドストリート警部はきっ

と、あなたがわれわれに話す内容を調書にとって、しかるべき方面に提出してくださるで

しょう。そうすればこの事件は法廷にまわされずにすむ」

「ありがとうございます!」囚人は感激していった。「わたしは自分のみじめな秘密を家

族の恥として子供たちの重荷にするくらいなら、刑務所に放りこまれたほうが、いえ、死

刑になったほうがましです。


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