「見えるか、ワトスン?」ホームズが叫ぶ。「あれが見えるか?」
ぼくはなにも見えなかった。ホームズが明かりをつけた瞬間、小さな、はっきりした口
笛の音が聞こえた。だが、疲れた目に急にまぶしい光が入ってきたせいで、ホームズが
いったい何をあんなに猛然と打ちすえているのか、まったく見えなかった。しかしホーム
ズの顔が真っ青で、恐怖と嫌悪に満ちているのは見えた。
ホームズは打つのをやめ、通気孔を見上げている。そのときふいに、夜の静けさを破っ
て、いままで耳にしたこともない恐ろしい悲鳴が聞こえてきた。それはだんだんと大きく
なっていって、耳障りなわめき声になった。苦痛と恐怖と怒りがないまぜになった身の毛
もよだつような金切り声だ。話によると、村はもちろん、遠く離れた牧師館でも、この悲
鳴のおかげで寝ていた人々が飛び起きたという。ぼくたちの心臓も凍りつき、ぼくは立ち
上がってホームズと顔を見合わせた。やがてその悲鳴の最後の反響も消え、もとの静寂が
もどってきた。
「どういうことだ?」ぼくはあえぎながらいった。
「すべて終わったということだよ」ホームズが答えた。「結局、これが最善の結果かもし
れない。ピストルを持ってきてくれ。ロイロット博士の部屋へいこう」
ホームズは神妙な面持ちでランプをつけ、先に立って廊下を歩きだした。ロイロット博
士の部屋の扉を二回ノックしたが、返事はなかった。そこでホームズは取っ手をまわして
なかに入った。ぼくも撃鉄を起こしたピストルを手に、すぐあとに続いた。
ぼくたちを出迎えたのは、異様な光景だった。テーブルの上にランタンが置いてあっ
て、覆いがなかば開いている。そこから出たまぶしい光が鉄製の金庫にあたっている。金
庫の扉は半開きになっていた。テーブルの横の木の椅子にグリムズビー・ロイロット博士
がすわっていた。身につけた長い灰色のガウンの下から、はだしのくるぶしをのぞかせ、
足はトルコ風のかかとのない赤いスリッパに突っこんでいる。ひざの上には、短い柄に長
い革ひものついたむちがのっている。昼間みた犬用のむちだ。博士は頭をそらしあごをつ
きだして、恐ろしい目つきでじっと天井の一角を見つめている。額のあたりに、茶色い斑
はん点てんのついた黄色い奇妙なひもがついている。博士の頭にしっかり巻きついている
ようすだ。ぼくたちが入っていっても、博士は声をあげることも動くこともなかった。
「ひもだ! まだらのひも!」ホームズがつぶやいた。
ぼくは一歩前に出た。すると急に、博士の奇妙な頭飾りが動きはじめ、髪の毛のなかか
ら、ずんぐりした菱ひし形がたの頭の太ったヘビが不気味な鎌首をもたげた。
「沼毒ヘビだ!」ホームズが叫んだ。「インドでもっとも恐ろしいヘビだよ。博士は嚙か
まれて十秒もたたないうちに死んだだろう。じっさい、暴力は振るった人間にはね返って
くる。他人をおとしいれようと穴を掘る者は、自分が掘った穴に落ちるんだ。さあ、この
ヘビを巣にもどそう。それからストーナーさんをどこか安全なところに送り届け、そのあ
と州警察に、なにが起こったか報告しよう」
ホームズはしゃべりながら、犬用のむちを死人のひざの上からさっと取って、輪になっ
た部分をヘビの首にかけた。そしてそのヘビを恐ろしいとまり木から引き離し、腕をいっ
ぱいにのばしてそのまま運んでいき、鉄製の金庫のなかに投げ込んで扉を閉めた。
以上がストーク・モーランのグリムズビー・ロイロット博士の死についての真実だ。す
でに長々と説明してきたので、これ以上話を引きのばす必要はないと思うが、ぼくたちは
この悲しいニュースをおびえているストーナー嬢に知らせ、朝の列車でハローの叔母おば
さんのもとへ送り届けた。警察は緩慢な捜査の末に、博士が不注意にも危険なペットとた
わむれているうちに今回のような目にあったと結論づけた。ぼくはこの事件について、ま
だ腑ふに落ちない点がいくつかあったが、それも翌日の帰りの列車のなかでシャーロッ
ク・ホームズに教えてもらった。
「ぼくは当初、まったくまちがった結論にいたっていたんだ。これでわかるだろう、ワト
スン、不十分な情報から推理することの危険性が。ロマがいたということ、『ひも』とい
う言葉が使われたこと──それは気の毒な被害者がマッチの光のなかでちらりとみた恐ろし
いものの姿を説明しようとしていったにちがいないが──この二つの情報は、ぼくをまった
くまちがった方向に導くのに十分だった。ただ、ぼくがひとつ自慢できるのは、あの部屋
の住人を脅かした危険がなんであれ、それは窓からきたものでも扉からきたものでもない
とはっきりしたときに、すぐさま見解を改めたことだ。以前にもいったと思うが、ぼくは
すぐに、あの通気孔とベッドの上に垂れさがっている呼鈴の引き綱に注目した。引き綱が
見かけ倒しで、ベッドが床に固定されていることがわかったとき、すぐに疑念が湧いたん
だ。この引き綱は、穴を通り抜けてくるなにかがベッドに降りるための橋渡しをしている
のではないか、と。そうなると、ただちにヘビが思い浮かんだ。博士がインドから動物を
取り寄せているという情報を考え合わせると、おそらく自分の推理は正しい方向に向かっ
ているだろうと思った。どんな化学検査でも見つからない類たぐいの毒を使うというアイ
デアは、頭が切れて非情で、しかも東洋で経験を積んだ男の考えそうなことだ。そのよう
な毒は効き目が早いということも、博士にすれば都合のよいことだった。よほど観察眼に
優れた検視官でないと、ヘビの毒どく牙がによるふたつの小さな黒い穴を見分けることな
どできない。それからぼくは口笛のことを考えた。博士はもちろん、夜明け前にヘビを呼
びもどさなくてはならない。でないとヘビがいることが被害者にばれてしまうからね。だ
からヘビを訓練したんだろう。おそらくぼくらが見たあのミルクを使って、呼ばれたら
帰ってくるようにしつけたんだ。博士はいちばんいいと思われる時刻を選び、ヘビに通気
孔をくぐらせた。かならずひもを伝ってベッドの上に這はいおりるようにね。ヘビはベッ
ドの上の人間をかならず嚙むとはかぎらないので、被害者は一週間くらい嚙まれずにすむ
こともありうるだろう。しかし、遅かれ早かれ、嚙まれずにはいられまい。
ぼくはこれらの結論にいたったあとで、博士の部屋に入った。椅子を観察した結果、博
士がしょっちゅうその上に立っていたことがわかった。それはもちろん、通気孔に手をの
ばすために必要だったのだ。金庫とミルクの入った小皿とむちで作った輪を見て、残って
いた疑いもきれいに吹き飛んでしまった。ストーナー嬢が聞いたという金属の落ちるよう
な音は、博士が恐ろしい毒ヘビを金庫に入れたあと、急いで扉を閉めた音にちがいない。
いったん考えがまとまったら、あとはきみも知ってのとおりの手段で証拠をかためにか
かった。あのヘビがシューシュー音をたてるのを聞いて、もちろんきみも聞いただろう
が、ぼくはすぐさま明かりをつけて攻撃した」
「そして通気孔へ追いやったんだ」
「その結果、ヘビは向こう側にいた主人を反撃した。ぼくのステッキが何度か急所にあ
たったもんだから、ヘビの本性が目覚めて、最初に目に入った人間に襲いかかったんだ
な。そう考えると、ぼくがグリムズビー・ロイロット博士の死に間接的に責任があるのは
たしかだ。しかし、そのことで良心の呵か責しやくを感じることはないと思うね」