「同じような事件の記録がいくつもあるからね。もちろん、さっきもいったとおり、これ
ほど手際のいいのは初めてだ。だが、あれこれ質問できたおかげで、推測が確信に変わっ
たよ。状況証拠というのは、ときに非常に説得力があるものなんだ。とくに、ソロー( 注・米
国の詩人、随筆家。一八一七~六二 )の日記を引用していうなら、ミルクのなかからマスが見つ
かったような場合にはね」
「しかし、ぼくもきみと同じことを聞いたのだがなあ」
「ワトスンには前例の知識がないだろう。ぼくにはそれがおおいに役立った。数年前、ア
バディーンで似たような事件があったよ。普仏戦争のあとのミュンヘンでも、同じ種類の
事件が起こっている。こんどの事件も類似するこれらの事件のひとつで──おや、レストレ
イドがきたぞ。こんにちは、レストレイド警部。戸棚の上に来客用のコップがあります
よ。葉巻はこの箱のなかです」
警部は水夫用ジャケットに襟巻という、どう見ても船乗りにしか見えないいでたちで、
黒いカンバス地のかばんを持っていた。あいさつもそこそこに腰をおろすと、勧められた
葉巻に火をつけた。
「どうしました?」ホームズが目をきらきらさせてたずねた。「ご機嫌が悪そうですね」
「そのとおりだよ。例のセント・サイモン卿の結婚式の事件ときたら、なにがなんだか
さっぱりわからんのだ」
「へえ! これは驚きだ」
「こんな複雑な事件は前代未聞だよ! 手がかりもみんな指のあいだをすり抜けていくよ
うだ。今日も一日中捜査にあたってたんだが」
「そのせいでずぶ濡ぬれになったんですね?」ホームズはレストレイドのジャケットの腕
をさわった。
「そうだ。ハイド・パークのサーペンタイン池をさらっていた」
「それはまたなんで?」
シャーロック・ホームズは、椅子の背にもたれかかって、おもしろそうに笑った。
「トラファルガー広場の噴水の池もさらいましたか?」
「なに? どういうことだ?」
「サーペンタイン池で花嫁が見つかるくらいなら、トラファルガー広場の池でだって見つ
かるでしょう」
レストレイドはホームズをにらみつけてどなった。「だれかさんはもうなにもかもわ
かっているんだろうな!」
「いや、ぼくはたったいま事情を聞いたばかりで。でももう見当はついてますよ」
「へえ、なるほどね! ではサーペンタイン池はまったく見当ちがいということかね?」
「そうですね」
「では、よかったら説明してもらおうじゃないか。池からこういうものがあがったのは、
いったいどうしてなのか」レストレイドはそういってかばんをあけ、なかみを床の上にば
らまいた。出てきたのは、波紋の模様の入ったシルクのウェディング・ドレス、白いサテ
ンの靴、花嫁の冠とヴェールで、どれも水に濡れて変色している。「どうだ」レストレイ
ドは真新しい結婚指輪をいちばん上にのせていった。「こいつはちょっとした難問だろ
う、ホームズ先生」
「ふん。なるほどね」ホームズは青い煙の輪を吐きながらいった。「これをサーペンタイ
ン池からさらってきたんですか?」
「いや、岸の近くに浮いていたのを、公園の管理人が見つけたんだ。これはセント・サイ
モン卿夫人の衣装と確認されている。それで、衣装があるのなら、遺体も近くにあるだろ
うと考えたのだ」
「そのすばらしい論理でいけば、洋服だんすの近くには死体がつきもの、ということにな
りますね。それで警部は、これらの品の発見から、どういう結論を導こうとしたんです
か?」
「フローラ・ミラーが花嫁の失しつ踪そうに関わっている証拠になると思ったのだ」
「それは難しいでしょう」
「へえ、そうかね?」レストレイドは大声で、苦々しげにいった。「しかしホームズ君、
あんたの推理や推論はあまり役に立たんようだよ。この二分間で二つも大まちがいを犯し
ているからな。このドレスは、たしかにフローラ・ミラーが関係していることを示してい
るんだ」
「どういうふうに?」
「このドレスにはポケットがある。ポケットのなかには名刺入れが入っていて、そのなか
にメモが入っていた。これがそれだ」レストレイドはそのメモを、目の前のテーブルにた
たきつけるようにして置いた。「よく聞くんだ。『用意がととのったら姿を現しますか
ら、すぐにきてください。F・H・M』さて、わたしは始めっからセント・サイモン卿夫
人はフローラ・ミラーにおびき出されたと思っていたんだ。もちろん共犯者がいるにちが
いないが、フローラ・ミラーこそ夫人をどこかへやった犯人なんだよ。このメモは彼女の
イニシャルも入っているし、玄関でそっと夫人に手渡されたにちがいない。これで夫人を
自分たちの手て許もとにおびき寄せたんだ」
「よくできました、レストレイド警部」ホームズは声をあげて笑った。「ほんとうにすば
らしいですよ。ちょっと拝見」ホームズはそのメモを気のないそぶりで取り上げたが、急
に興味を引かれたらしく、じっと見入ってから、小さく喜びの声をあげた。「たしかにこ
れはすごい」
「ふん、やっとわかったかい」
「たいしたものだ。ほんとにお手柄ですね」レストレイドは得意満面で立ち上がり、腰を
かがめてのぞきこんだ。「あれ、裏側を見てるじゃないか!」
「いや、こっちが表ですよ」
「なんだって? ばかいうな! こっち側が鉛筆で書かれた手紙じゃないか」
「しかしこっちにどこかのホテルの明細の切れ端がある。ぼくにはこっちのほうがずっと
おもしろい」
「それはなんの意味もない。わたしもさっき見た。『十月四日、室料八シリング、朝食二
シリング六ペンス、カクテル一シリング、昼食二シリング六ペンス、シェリー酒一杯八ペ
ンス』こんなもの、ただのレシートだ」
「そうかもしれません。それでもこれは重要なものですよ。手紙のほうも、少なくともイ
ニシャルは大事ですから、改めてお手柄おめでとうといわせてもらいます」
「時間の無駄だったな」レストレイドは立ち上がった。「わたしは体を使って働くことに
重きを置いてるんでね。火のそばにすわって、奇妙な理屈をこねくりまわしている暇はな
い。さようなら、ホームズ君。あんたとわたしとどっちが先に真相にたどり着くか、いま
にわかる」ばらまいた衣装をまとめてかばんにしまいこむと、レストレイドは帰りかけ
た。