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独身の貴族(6)
日期:2024-01-31 23:35  点击:264

「ひとつヒントをさしあげましょう、レストレイド警部」ホームズはライバルが姿を消す

前にいった。「この事件の真の答をお教えしますよ。セント・サイモン卿夫人というのは

架空の人物です。そんな人物はどこにもいないし、過去にも存在しなかった」

 レストレイドは憐あわれむような目でホームズを見た。それからぼくのほうを見て、自

分のおでこを三回たたくと、まじめくさった顔をして首を振ってから、そそくさと出て

いった。

 レストレイドが出ていくとすぐに、ホームズも立ち上がってオーバーを着た。「体を使

えというレストレイドの言い分にも一理ある。そこでワトスン、ぼくは出かけてくるか

ら、きみはしばらく新聞でも読んでいてくれ」

 シャーロック・ホームズがぼくを置いて出ていったのは五時すぎだったが、ぼくも寂し

がっている暇はなかった。一時間もすると、料理屋の使いがやけに大きな平たい箱を持っ

てやってきた。いっしょにきた若い者に手伝わせて箱をあけると、びっくりしているぼく

を尻しり目めに、食通家をうならせるような冷製の夜食の膳ぜんを、下宿の粗末なテーブ

ルの上に並べはじめた。ヤマシギがひとつがいに、キジが一羽、フォアグラのパイ、それ

に年代物のワインが数本添えてある。これらの贅ぜい沢たくな料理を並べ終えると、二人

の使いは、代金は前払いでもらっていて、ここに届けるよういわれたとだけ言い残して、

アラビアン・ナイトに出てくる魔法使いジンみたいに消えていった。

 九時少し前に、シャーロック・ホームズがさっそうと部屋にもどってきた。まじめく

さった顔をしているが、目の輝きを見れば、あてがはずれたようにはみえなかった。

「おお、夜食が届いていたか」ホームズは両手をすり合わせて喜んだ。

「客でもくるのかい? 五人前あるよ」

「うん。たぶん数人くる。セント・サイモン卿きようがまだきていないとは驚きだな。い

や、いま階段をのぼってくるようだ」

 たしかに、今朝の依頼人が、勢いよく部屋に駆けこんできた。鼻眼鏡をいちだんと激し

く振り、いかにも貴族的な顔に、ひどく取り乱した表情を浮かべている。

「わたしのメッセージが届いたようですね」ホームズがいった。

「ああ、正直いって、とても驚かされたよ。あれはたしかな根拠のあることかね?」

「これ以上たしかなことはありません」

 セント・サイモン卿は椅子にどっとすわりこむと、片手を額にあてた。

「公爵はなんといわれるだろう」小さくつぶやく。「一族の者が、こんなはずかしめを受

けたとお知りになったら」

「これはまったくの事故です。はずかしめなどというものではありませんよ」

「きみは当事者でないから、そういえるだろうが」

「だれの責任ともいえませんよ。奥様だって、ほかにどうしようもなかったと思います。

むろん、あのようなとっぴな行動に出られたのは遺憾なことですが、お母様がおられない

のですし、このような一大事に相談に乗ってくれる相手がいなかったのでしょう」

「しかし侮辱だ。公然たる侮辱だ」セント・サイモン卿は指先でテーブルをたたいた。

「あのようにまれにみるお立場に立たれたのですから、お気の毒な面もあると思って、大

目に見てさしあげたほうがよいですよ」

「大目になど見るものか。わたしは非常に腹を立てているのだ。ひどい侮辱を受けたので

すよ」

「あ、呼鈴が鳴ったようです。ほら、階段をのぼってくる音がします。わたしから寛大な

措置をお願いしても、お聞き入れいただけないようでしたら、弁護人を呼んでありますの

で、そっちのお話も聞いていただきましょう」ホームズは扉をあけると、女性と紳士をひ

とりずつ招き入れた。「セント・サイモン卿、フランシス・ヘイ・モールトン夫妻をご紹

介します。夫人のほうはもちろんご存じでしょうが」

 新しい客を目にして、セント・サイモン卿ははじかれたように立ち上がった。そのまま

目を伏せ、片手をフロック・コートの胸元に突っこんで立ちすくんでいる。いかにも、威

厳を傷つけられた、といいたげなポーズだ。女性のほうがさっと前に出て、片手を前に差

し出した。しかしセント・サイモン卿はまだ目を合わせようとしない。決意を揺るがさな

いためには、そのほうがよかったのだろう。許しを請おうとする女性の顔は憐れみを誘

い、とても抵抗しがたいものだったからだ。

「怒っておいでなのね、ロバート。もちろん、怒って当然ですわ」

「弁解など聞きたくない」セント・サイモン卿は辛しん辣らつにいった。

「ええ、わかっています。わたし、自分があなたにどんなひどいことをしたかということ

も、出ていく前に説明すべきだったということも、わかっています。でも、気が動転して

しまって。ここにいるフランクに再会してからというもの、自分がなにをやっているの

か、なにをしゃべっているのかもわかりませんでした。祭壇の前で卒倒しなかったのが不

思議なくらいですわ」

「モールトン夫人、なんでしたら、お話し合いになるあいだ、わたしとわたしの友人は席

をはずしましょうか?」

「ぼくの考えをお聞きいただけますか」いま入ってきた紳士が口をはさんだ。「こんどの

件に関しては、ぼくたちはあまりにも秘密主義だったと思います。ぼくとしては、全世界

の人にでも、事の真相を聞いてもらいたいくらいなのです」精せい悍かんな顔つきで小柄

だがたくましく日に焼けた紳士は、きびきびした物腰でいった。

「では、わたしからさっそくお話しします」女性がいった。「フランクとわたしは一八八

四年にロッキー山脈の近くのマクワイアという鉱山キャンプで出会いました。父さんの割

り当て鉱区がそこにあったんです。わたしとフランクは婚約をしました。けど、そのあと

で、父さんがものすごい鉱脈を掘りあてて、財産を築きあげたんです。でも、フランクの

鉱区はどんどん鉱脈が薄くなるばかりで、しまいにはなにも出なくなってしまいました。

父さんがお金持ちになるいっぽうで、フランクはどんどん貧しくなっていって、とうとう

父さんが、わたしたちの婚約は破棄すると言い出して、わたしをサンフランシスコに連れ

ていってしまったのです。でもフランクはあきらめずにわたしのあとを追ってきて、父さ

んに知られないように、こっそり会いにきてくれました。父さんに知れたら怒るに決まっ

てますから、なにもかも二人だけで決めたことです。フランクは、これからがんばってひ

と財産つくるから、きみの父さんと同じくらい金持ちになったら結婚を申し込みにくる

よ、といいました。わたしは、いつまでも待ってるわ、あなたが生きているかぎり、だれ

とも結婚しないから、と誓いました。そしたらフランクが、『じゃあ、いますぐ結婚して

しまおうよ』といったのです。『そうすればぼくも安心できる。だけど、金持ちになって

もどってくるまで、けっしてきみの夫だなんて名乗りをあげたりしない』そこでわたした

ちはじっくり話し合って、フランクがなにからなにまで段取りをして、牧師さんに立ち

会ってもらって、その場で結婚式をあげたのです。そのあとフランクはひと財産つくりに

出かけ、わたしは父さんのもとへもどりました。

 そのつぎにフランクから便りがあったときは、モンタナにいるということでした。それ

からアリゾナへいき、さらにニューメキシコへいったと聞きました。そのあと、鉱山キャ

ンプがアパッチ族に襲撃されたというニュースが新聞で大々的に報道されて、犠牲者のな

かにフランクの名前があったのです。わたしは気を失って、そのまま抜ぬけ殻がらのよう

に何ヶ月も寝込みました。父さんは結核だと思って、サンフランシスコ中の医者の半分く

らいに診せてまわりました。それから一年以上、フランクからなんの便りもなく、わたし

はフランクが死んだのはまちがいないと思いました。そのあとセント・サイモン卿がサン

フランシスコにこられました。わたしと父さんはロンドンにきて、婚約が成立し、父さん

はとても喜びました。でもわたしはずっと、この地球上でどんな男性もわたしの心のなか

に入りこむことはできないだろうと思っていました。わたしの心はフランクに捧ささげて

しまったのですから。


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09/30 01:30