ホームズさんも容易に想像がつくことと思いますが、わたしはこの変わった行動になん
の意味があるのか、とても不思議に思いました。ご夫妻はいつも、わたしが窓のほうを見
ないように、とても気をつけておられるように見えました。そのため、わたしはうしろで
なにが起こっているのか、見たくてたまらなくなりました。最初は、うしろを見ることは
できないように思えたのですが、まもなくいい方法を思いつきました。手鏡の割れたもの
を持っていましたので、そのかけらをひとつハンカチに隠しておきました。そしてつぎの
ときに、笑いこけながら、ハンカチを目のところまで持っていったのです。するとなんと
か、うしろのようすがぜんぶ見えました。でも、正直いってがっかりしました。なにも変
わったものはなかったからです。
少なくとも、最初はそう思いました。でも、そのつぎにちらっと見たときは、サウサン
プトン街道に男の人がひとり立っているのに気づきました。小柄でひげをはやしてグレー
のスーツを着た男性で、わたしのほうを見ているようでした。サウサンプトン街道はその
あたりの幹線道路ですから、誰かしら人はいます。でもその男性は、道路とぶな屋敷の敷
地を隔てる柵さくによりかかって、熱心にこちらを見ていました。ハンカチをおろして奥
様のほうをちらりと見ると、奥様はわたしのほうを探るような目つきでじっと見ておられ
ました。なにもおっしゃいませんでしたが、わたしが鏡を持ってうしろを見ていたことに
気づかれたにちがいありません。奥様はふいに立ち上がりました。
『あなた、道路に無作法な男がいて、ハンターさんをじろじろ見ていますよ』
『ハンターさんのお知り合いかね?』
『いいえ、わたしはこのあたりに知り合いはおりません』
『これはたいへんだ! なんて無礼なやつなんだろう! ちょっと振り返って、手でも
振って追っ払ってやりなさい』
『放っておいたほうがよくありません?』
『いいや、そんなことをしたらしょっちゅうこのあたりをうろつくようになる。面倒でも
振り返って、こんなふうに手を振ってやりなさい』
わたしはいわれたとおりにしました。そしたらすぐに奥様がブラインドをおろしてしま
われました。それが一週間前のことです。そしてそれ以来、窓の前にすわることも、鋼色
の服を着ることもなくなりました。道路に男の人を見かけたこともありません」
「どうぞ、お続けください。あなたの話はますますおもしろくなりそうだ」
「これからお話しすることは、どちらかというとまとまりがなくて、それぞれの出来事の
あいだに、なんの関連性もないようにお感じになるかもしれません。わたしがぶな屋敷に
着いた当日、ルーカッスルさんはわたしを勝手口の近くにある物置小屋に連れていきまし
た。そこへ近づくと、ガチャガチャと鎖が鳴る音がはっきり聞こえて、大きな動物が動き
まわっているような音もしました。
『ここから見てごらん!』ルーカッスルさんが羽目板のあいだのすきまを指さしていいま
した。『みごとなやつだろう?』
なかをのぞくと、ぎらぎら光るふたつの目と、暗闇でうずくまっているぼんやりした影
が見えました。
『こわがらんでもいい』ルーカッスルさんはわたしがぎょっとしたのを見て、笑っていい
ました。『あれはカーロという名のマスチフ犬だよ。わたしの犬だが、こいつを扱えるの
は馬丁のトラーしかいない。一日に一回エサをやるが、あまりたくさんはやらんようにし
ているので、いつもカラシみたいにぴりぴりしとるよ。トラーが毎晩こいつを放すから、
侵入者がいれば、かわいそうに、そいつはカーロの牙きばにかかってあの世いきだ。あな
たも、どんなことがあっても、夜に家の外へ出てはいけませんぞ。命にかかわりますから
な』
その忠告は意味もなくされたわけではありません。それから二日後の夜、わたしは何気
なく自分の部屋の窓から外を見ました。午前二時ごろのことです。月がきれいな夜で、家
の前の芝生が銀色に輝き、まるで昼間のような明るさです。わたしはその光景のおだやか
な美しさに、うっとりして窓辺にたたずんでいました。そのとき、なにかがブナの木の陰
で動いているのに気づいたのです。それが月明かりのなかに出てくると、正体がわかりま
した。子牛ほどもある大きな犬です。色は黄褐色で、あごの肉は垂れ、鼻づらは黒く、ご
つごつした骨が浮き出ています。芝生をゆっくり横切り、向こう側の木陰へ消えていきま
した。物言わぬ恐ろしい番人に、わたしはぞっとしました。どんな強盗が入ってきても、
こんなにぞっとすることはないのではないかと思ったくらいです。
それからもうひとつ、とても不思議なことがありました。わたしはごらんのとおり、ロ
ンドンで髪の毛を切りました。切った髪は束ねてトランクの底に入れて持ってきました。
ある夜、わたしはお子さんがお休みになったあと、気晴らしに自分の部屋の調度品を調べ
たり、身のまわりのものを整理したりしはじめました。部屋には古いたんすがあって、い
ちばん上と二番目の引き出しは空で、鍵かぎもかかっていませんでした。わたしはそこに
下着やなんかを入れましたが、ほかにもまだたくさん片づけたいものがあったのに、三番
目の引き出しが使えなくて困っていました。そのときふと、この引き出しは、鍵をかける
必要もないのに、うっかりかかったままになっているのかもしれないと思い、鍵束を取り
出して、どれかであかないか試してみることにしました。すると、最初の鍵がぴったり
合って、引き出しをあけることができたのです。なかにはひとつだけものが入っていまし
た。それがなんだったか、お二人には想像もつかないと思います。それはわたしの髪の束
でした。
わたしはそれを手に取って調べました。わたしの髪と同じ珍しい色合いで、かさも同じ
です。でも、わたしの髪がここにあるはずがない。やがてそれがはっきりわかってきまし
た。どうしてわたしの髪束が、この鍵のかかった引き出しに入っているはずがありましょ
う。わたしは震える手で自分のトランクをあけ、中身をぜんぶ出して、そこから自分の髪
束を取り出しました。二つの髪を並べてみますと、ほんとうにそっくりでした。これって
不思議じゃありません? いったいどういうことなのか、さっぱりわかりません。わたし
はその不思議な髪束を引き出しにもどし、ルーカッスルさんにも奥様にもなにもいいませ
んでした。鍵がかかっていた引き出しをあけたのは、わたしが悪いように思ったからで
す。
お気づきかもしれませんが、ホームズさん、わたしはもともと観察力のあるほうです。
しばらくすると、ぶな屋敷の全体の見取り図が頭に入りました。この家にはひとつだけ、
だれも使っていないような棟がありました。そこへ通じる扉は、トラー夫婦が住んでいる
一角に通じる扉と向かい合った場所にあり、いつでも鍵がかかっていました。けれどもあ
る日、わたしが階段をあがっていると、ルーカッスルさんがその扉から出てくるところに
出くわしました。ルーカッスルさんは、鍵束を持って、いつものまるまる太った陽気な紳
士とは別人のような表情をしていました。顔を真っ赤にして、おでこにしわを寄せ、怒っ
て興奮したようすで、こめかみに青筋を浮かべているのです。扉に鍵をかけると、わたし
には言葉をかけるどころか、目もくれず、さっさと通りすぎていきました。