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ボール箱(5)
日期:2024-01-31 23:37  点击:294

「今回の事件はね」その晩、ベイカー街の部屋で葉巻をふかしながらくつろいでいると

き、ホームズが話し始めた。「《緋ひ色いろの研究》や《四つの署名》という表題できみ

が記録した事件と同様、結果から原因へとさかのぼって推理しなければならなかった。レ

ストレイドには詳細がわかったら知らせてくれと頼んである。まだ判然としない小さな事

柄も、犯人を逮捕すれば明らかになるだろう。逮捕に関してはレストレイドに任せておけ

ばまちがいない。推理のほうはからっきし苦手だが、やるべきことがはっきりわかれば、

ブルドッグのようにしぶといからね。スコットランド・ヤードで頭角を現わしたのも、ま

さにあの粘り強さのおかげだよ」

「じゃあ、事件はまだ完全に解決したわけじゃないんだね?」

「肝心の部分はもう解決済みだよ。ああいう血なまぐさいことを誰がやったのかは、もう

わかっている。被害者のうち一人はまだ判明していないがね。どうだい、きみも自分なり

の結論に行き着いてるんじゃないか?」

「きみが犯人じゃないかと疑っているのは、リヴァプール航路の客室係、ジム・ブラウ

ナーだろう?」

「おいおい、疑うなんていう段階はとっくに過ぎてるよ」

「私はまだ、怪しいなとぼんやり感じている程度だがね」

「僕はまったく逆で、なにもかもすっきりと見通せる。要点を整理していこうか。まず、

僕らはまっさらな状態で捜査に乗りだした。それは必ず有利に働くんだ。先入観を持って

いないからね。現場で実際に観察し、自分の見た事柄から推論を組み立てたわけだ。さ

あ、では現場で最初に見たものは? 秘密などひとつも持っていそうにない、穏やかで上

品な婦人と、彼女に二人の妹がいることを教えてくれる写真だったね。あのとき僕はふ

と、例の小包は本当は二人の妹のうちのどちらかに送られたんじゃないかと思った。だが

それについてはあとでゆっくり考えればいいから、とりあえず棚上げにした。そのあと庭

へ出て、小さな黄色い箱の奇妙な中身を見た。

 小包の紐ひもは船舶で帆を縫うのに使われるものだったから、捜査にさっそく潮の香り

がまじってきたわけだ。結び目が船乗り特有の結び方で、小包は港町の郵便局から発送さ

れた。それに耳にピアスをする男は陸よりも海の男のほうがずっと多い。こうしたことを

考え合わせて、事件の登場人物たちは全員、船舶関係者にちがいないと確信した。

 小包の宛あて名なを調べたところ、〝ミス・S・クッシング〟になっていた。もちろ

ん、あのミス・クッシングは名前がスーザンだから、イニシャルは〝S〟だが、ひょっとす

ると妹たちの中にも同じイニシャルの者がいるかもしれない。もしいたら、捜査を新しい

見地で最初からやり直す必要がある。僕はその点をはっきり見きわめるつもりで家の中へ

戻った。そしてミス・クッシングを安心させるため、これはなにかのまちがいではないか

と言おうとしたんだが、途中で急に黙りこんだろう? あれはなぜかというと、あるもの

を目にしてはっとしたからなんだ。あの瞬間、捜査の範囲はいっきに狭まってくれたよ。

 ワトスン、きみは医師だからよく知っていると思うが、人体の中で耳くらい多様性に富

むものはない。どの耳も特徴がはっきりしていて、ほかの耳とは明らかに異なっている。

これに関して僕の書いた小論文がふたつ、昨年の『人類学会誌』に掲載されているよ。つ

まり僕は専門家の視点で箱の中の耳を観察し、解剖学上の特徴を細かく頭に入れておいた

んだ。だからミス・クッシングの耳を見たときの驚きといったらなかったよ。ついさっき

調べた女性の耳とそっくりだったんだからね。あれは偶然の一致では絶対に片付けられな

い。耳翼が縮こまっているところも同じ、耳たぶの上部が大きく湾曲しているところも同

じ、そして内側の軟骨の渦巻きも形が瓜うりふたつだ。本質的に同じ耳と言っていい。

 そこにきわめて重大な意味があることは瞬時に判断できた。被害者はミス・クッシング

と血縁関係にある人物、それもおそらくは近親者と考えられるのだ。そこで話題を家族の

ことに向けると、きみも覚えているように、ミス・クッシングはすぐに有力な情報を提供

してくれた。

 ひとつめは、二人いる妹のうち片方の名前がセアラで、最近まで同じ家に住んでいたと

いうことだ。おかげで小包が誤って配達された理由や、誰に宛てたものだったのかがはっ

きりした。ふたつめは、末の妹と結婚した船の客室係が一時はセアラと大変仲が良かった

ことだ。セアラはブラウナー夫婦のそばにいたいがために、リヴァプールで暮らしていた

という話だったね。しかしその後けんか別れして、互いに連絡を取り合わなくなった。と

いうことは、もしブラウナーがセアラ宛てに小包を送りつけようとしたら、前の住所を書

くにちがいない。

 さあ、これで視界は格段に開けた。客室係のブラウナーは衝動的なところのある情熱家

だ。なにしろ、妻と離ればなれになるのがいやで、割のいい仕事を捨てているくらいだか

らね。おまけに酒癖も悪いようだ。そうなると、彼の妻はすでに殺害され、もうひとつの

耳の持ち主である船乗りらしき男も同時に殺された、と考えるだけの根拠は充分ある。犯

行の動機として真っ先に浮かぶのは、当然ながら嫉しつ妬とだ。

 では、殺人の証拠がなぜセアラ・クッシングに送りつけられたのか? おそらく彼女が

リヴァプールにいたとき、この悲劇の原因となる火種をまいたんだろう。それからブラウ

ナーが働いている航路だけどね、リヴァプールを出航後、ベルファスト、ダブリン、

ウォーターフォードの順に寄港する。つまり、ブラウナーが凶行に及び、その直後にメイ

デイ号に乗船したと仮定すると、例のおぞましい小包を発送できる最初の寄港地はベル

ファストなんだ。

 ただし、この段階では別の解釈も成り立つ。可能性はきわめて低いと思うが、推理を先

へ進める前にきちんと検討しておかなければならない。別の解釈というのは、人妻に横恋

慕した男がブラウナー夫婦を殺害し、男のほうの耳はブラウナーのものである、というこ

とだ。かなり強引な説だが、絶対にありえないとは言いきれないだろう? そこでリヴァ

プール警察の友人、アルガーに電報を打って、ブラウナー夫人が在宅かどうか、そして夫

のジム・ブラウナーがメイデイ号に乗船しているかどうか調べてもらった。そのあとでミ

ス・セアラに会うためウォリントンへ向かったんだ。

 その第一の目的は、ミス・セアラの耳にほかの姉妹と同じ特徴がどのくらい現われてい

るかをこの目で確かめることだった。言うまでもなく、彼女から重大な事実を聞きだした

いとも思っていたが、そっちのほうはあまり期待していなかった。というのは、クロイド

ンは奇怪な小包の話で持ちきりだったわけだから、ミス・セアラも事件のことは前日に

知っていて、小包が本当は誰に宛てたものだったか察しがついていたはずだ。もし捜査に

協力する気があるなら、とっくに警察に名乗りでていただろう。

 まあ、それでも、会うだけ会ってみようと思って、家を訪ねた。すると、発症の日にち

から考えて小包によるショックが原因だろうね、ミス・セアラは重い脳炎で臥ふせってい

た。小包の重大な意味を彼女が完全に知っているのは火を見るより明らかだったが、本人

から話を聞くのは当分無理だということも同時に明らかになったわけだ。

 ところが、その後の展開で、彼女の証言に頼る必要はなくなった。電報の返信がアル

ガーから、僕の指定したとおりクロイドン警察に届いていたからだ。あれがまさに決定打

となった。ブラウナー家は三日以上前から閉めきられ、近所の人が言うには、夫人は南の

親類を訪ねているんだろうとのことだった。船会社に確認したところ、ジム・ブラウナー

はメイデイ号に乗船しているそうだ。船がテムズ河に着くのは明日の晩になる。港で出迎

えるのは、理解力は乏しくても人一倍闘志あふれるレストレイド警部だから、もうじきす

べての真相が解き明かされるだろう」

 ホームズの期待は裏切られなかった。二日後に届いた分厚い封筒には、レストレイドの

短い手紙に添えて、フールスキャップ判の用紙数枚にタイプライターで打った書類が同封

されていた。


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09/29 19:19