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黄色い顔(1)
日期:2024-01-31 23:37  点击:290

黄色い顔

 私があまたの不思議な話の聞き手となり、さらには登場人物ともなりえたのは、友人の

シャーロック・ホームズが優れた非凡な才能に恵まれているからにほかならない。よっ

て、このように過去の事件簿を世に公表するにあたっては、当然ながらホームズの失敗談

よりも成功談のほうを数多く取りあげることになる。念を押すが、友人の名声をことさら

に高めようとするつもりは毛頭ない。そもそもホームズはせっぱ詰まった状況でこそ本領

を発揮し、八はち面めん六ろつ臂ぴの活躍を見せるが、やはりたまには失敗することもあ

る。しかし彼が解決しそこねた事件はたいがいほかの誰にも解決できないため、結末がわ

からずじまいで語りようがないのだ。とはいえ、ホームズがしくじったものの、ひょんな

ことから真相が解明される場合もときにはある。私の記録にはそうした事件が五つ六つ

入っているが、その中で際立って印象深いのが、《第二の血けつ痕こん》事件と、これか

ら語ろうとする事件である。

 ホームズは運動のための運動はめったにやらない。腕っぷしの強さではまず誰にも負け

ないだろうし、ボクサーとしての実力も体重別の同じ階級の中では群を抜いている。にも

かかわらず、目的のない肉体運動はエネルギーの無駄遣いと考え、なかなか動こうとしな

いのだ。ただし、職業上の目的をともなう場合は例外で、そういうときの彼はまさに疲れ

を知らず、実に根気強い。普段は運動嫌いなのに、それだけの屈強な肉体を保っていられ

るとは、まさしく驚嘆の極みである。しかも食生活はいたって質素で、禁欲的なまでに慎

ましく暮らしていた。唯一の悪癖はコカインだろう。事件が乏しいときや新聞がつまらな

いときの退屈しのぎに、ときおり使用する程度だったが。

 さて、春まだ浅いある日のこと、ホームズはよほどくつろいだ気分だったのか、珍しく

私と一緒に公園へ散歩に出かけた。楡にれの木は小さな緑色の新芽を頂き、栃とちの木で

は粘っこい槍やりの切っ先のような芽がほころんで、五枚の葉に分かれようとしていた。

気心の知れた間柄にふさわしく、どちらもほとんど口をきかずに二時間ほどぶらぶらし

た。ベイカー街へ戻ったのは五時少し前だった。

「お帰りなさいませ」雑用係の少年がドアを開けて出迎えた。「お留守のあいだに紳士が

お一人、訪ねてこられました」

 ホームズは私を恨みがましい目で見た。「なんだ、午後の散歩になど行くんじゃなかっ

たよ!」そのあとで少年に尋ねた。「客はもう帰ったんだね?」

「はい」

「部屋に通さなかったのか?」

「通しました。しばらく中でお待ちになっていました」

「どのくらい?」

「三十分くらいです。ずっとそわそわしっぱなしで、歩きまわったり足を踏み鳴らしたり

していました。ドアのすぐ外で控えていましたから、音でわかったんです。そのうちに、

とうとう廊下へ出てきて、大声で怒鳴りました。『あの男はいつになったら戻るんだ?』

このとおりの言葉遣いだったんです。『もう少々お待ちください』とお願いしたら、

『じゃあ外で待たせてもらうよ。このままだと息が詰まりそうだ。また出直す』と言い残

して、飛びだしていきました。引き止めようとしたんですが、間に合わなかったんです」

「そうか。よし、わかった。ご苦労だったね」ホームズは少年をねぎらい、私とともに部

屋へ入った。「まいったよ、ワトスン。新しい事件を待ちわびていただけに、惜しいじゃ

ないか。客がそこまで焦じれていたということは、よほどの重大事なんだろう。おや!

テーブルの上のパイプはきみのじゃないね。さては客の忘れ物だな。長年使いこまれた立

派なブライアー・パイプだ。煙草屋が琥こ珀はくと称する材質の長い吸い口がついてい

る。もっとも、本物の琥珀でできた吸い口などロンドン中をくまなく探したって数えるほ

どしかないがね。蠅の化石が中に入っていれば本物だと巷ちまたでは言われているが、実

際にはそうともかぎらない。偽の蠅を偽の琥珀に仕込むような小細工が堂々とまかりと

おっているんでね。それにしても、この動揺ぶりは半端じゃないな。大事な愛着のあるパ

イプを忘れていくんだから」

「どうして愛着があるとわかるんだい?」私は訊きいた。

「それはだね、このパイプはおそらく七シリング六ペンスくらいの値段で買ったものだろ

うが、見てのとおり二度も修理に出してある。ほら、木製の柄と琥珀の吸い口にそれぞれ

一箇所ずつ直した跡が見えるだろう? 両方とも銀の帯を巻いてあるから、修理代はパイ

プの購入代よりも高くついたはずだ。新品を買える金額をかけてまで修理したというの

は、愛着がある証拠だよ」

「ほかには?」と促してみた。ホームズがパイプをひっくり返して、独特の鋭い目つきで

ためつすがめつしているからだ。

 やがてホームズはパイプを掲げ、骨の講義をする大学教授よろしく、長くて細い人差し

指で軽く叩たたいた。

「パイプというのはきわめて興味深い代物でね」ホームズは言った。「懐中時計と靴くつ

紐ひもを除けば、パイプほど持ち主の個性を雄弁に語るものはないだろう。ただし、この

パイプからわかる特徴はさほど奇異でも重要でもない。持ち主は筋骨たくましい左利きの

男で、すこぶる丈夫な歯を持ち、わりあい無頓とん着ちやくな性格だ。それから、金に

まったく苦労していない」

 そんな調子で事もなげに推理を並べ立てたあと、ホームズはどこまで理解できたかなと

問いたげに私を上目遣いで見た。

「金持ちだと判断したのは、七シリング以上するパイプを使っているからかい?」と私は

訊いた。

「この煙草はね、一オンスあたり八ペンスもするグローヴナー・ミクスチャーなんだ」

ホームズはそう言って、てのひらに煙草を少量落として見せた。「その半額も出せば、充

分上等な煙草を買えるわけだから、裕福な男に決まっているよ」

「ほかの点については?」

「持ち主はいつもランプかガスの炎でパイプに火をつけているようだ。見てごらん、片側

が真っ黒に焼け焦げているだろう? マッチではこういうふうにはならない。パイプの横

にマッチの火を近づける理由はどこにもないからね。だがランプから火をつけようとすれ

ば、どうしても火皿が焦げる。ただし、焦げているのは右側だけなので、持ち主は左利き

と判断していい。ランプにパイプを近づける場合、右利きのきみなら自然とパイプの左側

を火にかざすはずだ。たまに反対側にすることはあっても、毎回ではないだろう。だがこ

のパイプはつねに反対側をあぶられている。それから、琥珀の吸い口には嚙かみ砕いた痕

こん跡せきがあるね。ということは、持ち主はたくましくて腕力があり、歯がかなり丈夫

なんだろう。おっと、僕の空耳でなければ、当の本人が階段を上がってくるぞ。調べるな

らパイプよりもパイプのご主人のほうがおもしろそうだ」

 その直後、いきなりドアが開いて、背の高い青年が部屋に入ってきた。地味だが仕立て

のいいダークグレーのスーツを着て、茶色い中折帽を持っている。見た目から三十歳前後

だろうと踏んだが、実際にはもう少し上だとのちにわかった。


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09/29 19:24