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株式仲買店員(6)
日期:2024-01-31 23:37  点击:292

「ピナーはなぜわざわざそんなものを書かせたのか? 契約上の目的ではないだろう。こ

の程度の取り決めは話し合いで充分なはずだし、今回の件だけ特別扱いすべき根拠はどこ

にも見あたらない。パイクロフトさん、そうなると考えられるのはただひとつ。向こうは

あなたの筆跡見本がほしかったんですよ。誓約書はそのための口実です」

「なぜ筆跡見本を?」

「そう、そこです。その疑問に答えをあてはめてやれば、問題の核心にぐっと近づくんで

すよ。なぜ筆跡見本が必要だったのか? 考えうる理由はこれしかありません。彼らはあ

なたの筆跡をまねるために、その見本を手に入れたかったのです。さて、それではもうひ

とつの点に移りますが、最初の点とふたつめの点は互いの謎を光で照らし合っています。

ふたつめの点とは、ピナーがパイクロフトさんに採用の決まっていた会社へ辞退の連絡を

させまいとしたことです。つまり、その優良会社の経営者に、月曜日の朝にまだ会ったこ

とのないホール・パイクロフトなる人物が来社すると思いこませておきたかったのです」

「そうだったのか!」パイクロフトが叫んだ。「どうして今まで気づかなかったんだろ

う!」

「さあ、これで筆跡見本の謎が解けましたね? あなたになりすまして出社しても、応募

書類と似ても似つかない筆跡では、すぐに偽者だと見破られてしまいます。しかし事前に

練習して筆跡を似せておけば、疑念を招く心配はありません。あなたはその会社の人とは

これまで誰とも面識がないのでしょう?」

「ええ、そのとおりです」ホール・パイクロフトは悔しそうに答えた。

「やはりそうですか。もちろん、やつらにとって一番重要なのは、あなたにその会社のこ

とを忘れさせ、あなたの耳に自分の分身がモースン商会で働いているという噂が入らない

ようにすることでした。そこで給料の前払い金を気前よくはずみ、はるばるミッドランド

地方まで行かせ、ロンドンへ舞い戻ったりしないよう大量の仕事を与えたのです。もしあ

なたがロンドンに現われたら、一巻の終わりですからね。単純明快な話ですよ」

「しかし、この男はなぜ自分の兄と偽ったんでしょう?」

「それについてもすでに明白です。今回のたくらみに関与しているのはたった二人です。

片方は今頃モースン商会であなたになりすましているでしょう。ここにいる男は人材斡あ

つ旋せん業者というふれこみであなたと接触したあと、雇い主役として三人目の人物をこ

の陰謀に引き入れなくてはならないと気づいた。しかしそれはどうしても避けたい。そこ

で、できるかぎり変装して一人二役を演じることにしたのです。やけに似ているなとは思

われても、血のつながった兄弟だから当然だと言えば押し通せると踏んだんでしょう。実

際、奥歯の金の詰め物を偶然目にしなければ、あなたが二人を同一人物ではないかと怪し

むことはなかったはずです」

 ホール・パイクロフトは宙に拳こぶしを突きあげた。「なんてことだ! ぼくが一杯食

わされていたあいだ、もう一人のホール・パイクロフトはモースン商会でなにをしていた

んだろう? ホームズさん、どうすればいいんですか? 教えてください!」

「モースン商会に電報を打たなければ」

「土曜日は正午で閉まってしまいます」

「心配いりませんよ。守衛か案内係がいるでしょうから──」

「ああ、そうでした。あそこには大量の有価証券がしまってあるので、警備員が二十四時

間態勢で番をしているんですよ。シティでは有名な話です」

「それは好都合だ。ではさっそく電報を打ちます。警備員に異状がないか確認してもら

い、あなたの名前で勤務している従業員がいないか調べてもらいましょう。これでだいた

い片がついた。しかしどうしてもわからないのは、この男がなぜ突然部屋を出ていって首

を吊ったかだ」

「新聞が!」背後からしゃがれた声が聞こえた。振り返ると、男が上半身を起こしてい

た。顔色は青ざめ、目には正気が戻りつつあり、喉のどのまわりにくっきりと残っている

赤い帯状の跡を両手でこわごわさすっている。

「そうか、新聞だ!」ホームズがだしぬけに叫んだ。「うっかり見逃すとは、この大ばか

者め! 事務所のほうに気を取られていて、新聞が目に入らなかった。まちがいない、謎

はあの中だ」ホームズはテーブルの上で新聞を大きく広げ、勝ち誇った声をあげた。

「これを見ろ、ワトスン! ロンドンの新聞だ。イヴニング・スタンダード紙の早版だ

よ。問題の記事はこれだな。見出しにこうある。〝シティで事件発生。モースン・アン

ド・ウイリアムズ商会で殺人:白昼堂々の強盗未遂事件。犯人は逮捕〟ワトスン、パイクロ

フトさんも聞きたいだろうから、続きを読みあげてくれないか?」

 紙面で大々的に報じられているところを見ると、ロンドンはこの事件で大騒ぎだったに

ちがいない。記事の内容は次のとおりだった。

「本日午後、シティで凶悪な強盗事件が発生し、一名が死亡、犯人は逮捕された。モース

ン・アンド・ウィリアムズ商会は有名な株式仲買店であり、時価総額百万ポンド超の有価

証券を保管している。経営者はこの巨額の財産を守るため、最新式の金庫を導入し、昼夜

を問わず武装した警備員を配置していた。先週、ホール・パイクロフトなる人物が新しく

入社したが、その正体は悪名高い偽造犯にして金庫破りのベディントンで、兄とともに五

年の刑期を終えて出所したばかりだった。今のところ具体的な手段はわかっていないが、

偽名を使って社員として内部に潜入し、ドアの合い鍵かぎを作ったうえ、金庫室と金庫の

位置を詳細に下調べしていた。

 モースン商会では土曜日はいつも半日業務で、従業員は正午に退社する。そのため午後

一時二十分に一人の紳士が旅行かばんを手に同社から出てくるのを見て、ロンドン市警察

のトゥースン巡査部長は不審を抱いた。あとをつけたところ、ますます怪しいと感じたた

め、ポロック巡査の応援を得て激しい格闘の末に逮捕、たちどころに大胆不敵な銀行強盗

が発覚した。旅行かばんの中から、アメリカの約十万ポンド相当の鉄道債や、鉱山その他

の企業の仮株券が大量に見つかったのである。

 モースン商会を捜索した結果、一番大きな金庫の中に不運な警備員の遺体がふたつ折り

の姿勢で押しこまれていた。トゥースン巡査部長の迅速な行動がなければ、遺体は月曜日

の朝まで発見されなかったであろう。警備員は後頭部を火かき棒のような物で殴られ、頭

ず蓋がい骨こつが砕けていた。おそらくベディントンは忘れ物のふりをして社へ戻り、警

備員を殺害後、大型金庫の中身を盗んで逃走したものと思われる。これまでは決まって兄

との共犯だったが、現時点での情報によると今回は単独犯らしい。しかし警察は目下、こ

の兄を血眼になって捜索中である」

「それに関しては、われわれのおかげで警察は労力を節約できたね」ホームズはそう言っ

て、窓辺にうずくまっているげっそりした顔の男をちらりと見た。「人間の本性というの

は実に複雑怪奇だよ、ワトスン。この男にとっては、たとえ極悪非道な殺人者であろう

と、かわいい弟には変わりないんだろう。弟が死刑になると知ったとたん、自殺に駆り立

てられたくらいだからね。しかし、われわれが取るべき行動は決まっている。パイクロフ

トさん、ワトスン医師と僕がここに残って見張っていますから、ひとっ走り警察まで行っ

てもらえませんか?」


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09/29 19:22