私たちが惨劇の現場に着いたのは、翌日の真昼だった。さっそくホームズの案内でハド
スン街へ向かった。感情を隠すのはお手の物である彼も、さすがにはやる気持ちを抑えき
れない様子だった。私のほうは、彼の捜査に立ち会うときには決まって味わう冒険心と知
的興奮の合わさった喜びを嚙かみしめていた。
「ここがハドスン街だ」ホームズはそう言って角を曲がり、二階建ての質素なレンガ造り
の家が並ぶ短い通りへ入った。「ああ、ちょうどシンプスンが報告に来た」
「やつはおとなしくしてますよ、ホームズさん」小さな浮浪児が私たちに駆け寄ってきて
言った。
「ご苦労だったね、シンプスン!」ホームズは少年の頭を軽くぽんぽん叩たたいた。「行
こう、ワトスン。これがやつのいる下宿だ」ホームズは〝大事な用件で来た〟とのメッ
セージを添え、名刺を届けさせた。間もなく私たちは目当ての男とお目通りがかなった。
暖かい日だというのに、男は暖炉の火にあたっていて、狭い室内は焼却炉のような暑さ
だった。ねじ曲がった身体で椅子に縮こまっている姿はなんとも言えず醜怪だが、振り向
いたときの顔は、真っ黒に焼けてしわだらけとはいえ、まれに見る端正な顔立ちの名残を
とどめていた。黄色っぽい気難しげな目をうさん臭そうにこちらへ向けてから、しゃべり
も立ちあがりもせず、手振りで二脚の椅子を示した。
「インド帰りのヘンリー・ウッドさんですね?」ホームズは穏やかに尋ねた。「バーク
リー大佐が亡くなった件で、お話があります」
「おれがなにを知ってるというんだ?」
「それを確かめに来たんですよ。ご存じでしょうが、真相が明らかにならないと、あなた
の旧友であるバークリー夫人はまちがいなく殺人容疑で裁判にかけられます」
男はぎくりとした。
「あんたが誰だか知らないし、なんであんたがそんなことを知ってるのかもわからんが、
今言ったことは本当なのか?」男の大声が響く。
「本当です。警察は彼女が意識を取り戻すのを待って逮捕するでしょう」
「なんだって! あんたは警察の人間なのか?」
「いいえ」
「じゃあ、なんで首を突っこんでるんだ?」
「正義の裁きを見守るのは万人の務めです」
「彼女は無実だ。信じてくれ」
「罪を犯したのはあなたですか?」
「いや、ちがう」
「では、誰がバークリー大佐を殺したのですか?」
「天罰が下ったのさ。だがな、おれはこの手であいつの脳天をかち割りたかったよ。実際
にやってたとしても、あいつにとっちゃそれこそ自業自得ってもんよ。結局あいつは自身
の罪悪感にぶちのめされたわけだが、そうならなかったら、おれが落とし前をつけてやっ
た。詳しく聞きたいか? いいとも、隠しておく理由はないからな。おれはこれっぽっち
も恥じちゃいない。
見てのとおり、今じゃ背中がラクダみたいにゆがみ、あばら骨もねじれ、見るも無惨な
ありさまだが、昔は第百十七歩兵大隊のヘンリー・ウッド伍ご長ちようといえば天下の美
男子と謳うたわれてたもんだ。当時はインドに駐屯してた。バーティーって名の宿営地に
な。このあいだ死んだバークリーはおれと同じ中隊の軍曹だった。そして連隊の花とあが
められた、まさに絶世の美女ともいうべき女が、軍旗護衛軍曹の娘、ナンシー・デヴォイ
だ。二人の男は彼女に恋をし、彼女のほうも片方の男に恋をした。とんだお笑いぐさだろ
う? こうやって暖炉の前で丸まってるみじめったらしい男が、ナンシーに選ばれるにふ
さわしい、りりしい好男子だったんだからな。
続きに戻ろう。おれはナンシーの心をつかんだが、彼女の父親は娘をバークリーと結婚
させたがった。こっちは無鉄砲なだけの青二才だが、あっちは将来を嘱望された学のある
男だから無理もない。だがナンシーのおれに対する気持ちは真剣だったから、いずれは一
緒になれると望みをつないでいた。その矢先にインド大反乱が勃ぼつ発ぱつし、国中に地
獄の嵐が吹き荒れたんだ。
バーティー宿営地は反乱軍に包囲され、おれたち連隊は砲兵半個中隊やシーク兵一個中
隊、それから女子供を含む大勢の民間人とともに袋のネズミとなった。周囲には一万人も
の敵が、獲物に飛びかからんとする猟犬のごとく群がっている。包囲されて二週目には、
とうとう飲み水が底をついた。北へ進軍中のニール将軍率いる部隊と連絡を取れなかった
ら、万事休すという状況だった。女子供が一緒では、敵の包囲を強引に突破するわけには
いかないからな。そこでおれは、ニール将軍に救援を求めにいく役目を志願した。上官の
許可が下りると、あたりの地形に誰よりも詳しいとされていたバークリー軍曹に相談し、
反乱軍の包囲網をかいくぐれそうな進路を地図に描いてもらった。その晩の十時、おれは
出発した。千人の命を背負っての使命だったが、砦とりでの壁を乗り越えたときに脳裏を
よぎったのは、ただ一人の女だった。
地図に記された進路に従い、敵の歩ほ哨しようの目を逃れるため、干上がった水路の内
側を進んでいった。ところが角を曲がったとたん、六人の敵兵につかまってしまった。暗
闇でうずくまって待ち伏せしていたらしい。いきなり殴られて気を失い、手足を縛りあげ
られた。だが本当に痛んだのは殴られた頭ではなく心だった。なぜなら、意識を取り戻す
と敵の会話が聞こえ、なんとか理解できた内容から、自分は味方に裏切られたんだと知っ
たからだ。おれにこの進路をたどらせた戦友であるはずの男が、現地の使用人に命じてお
れを敵方に売り渡したんだよ。