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ギリシャ語通訳(4)
日期:2024-02-13 08:40  点击:255

 ホームズさん、あと五分あったら、やつらの目の前でなにもかも残らず聞きだせたで

しょう。せめてもうひとつ質問できれば、だいぶ事情が明らかになったはずです。ところ

がいきなりドアが開いたかと思うと、女性が部屋へ駆けこんできました。なにしろ薄暗

かったのではっきりとは見えず、背が高くて黒髪で上品な顔立ちをしていること、それか

らゆったりとした白いガウンのようなものをまとっていることしかわかりませんでした。

『ハロルド! もう耐えられないわ』いくらか訛なまりのある英語でした。『こんな寂し

い場所にいるのは──まあ、パウロスじゃないの!』

 最後の部分はギリシャ語でした。とたんに椅子に座っていた男は死に物狂いで口から絆

ばん創そう膏こうをはがし、『ソフィー! ソフィー!』と叫んで女性の腕へ飛びこみま

した。しかし二人が抱き合ったのもつかの間、ラティマーが女性の腕をむんずとつかみ、

強引に部屋の外へ連れていきました。年かさの男のほうは瘦せ衰えた囚とらわれ人をいと

も簡単に引きずって、別のドアから出ていきました。部屋に一人きりになったわたしは、

この家について手がかりになりそうなものを探してみようかとぼんやり考え、椅子から立

ちあがりました。行動に移す暇がなかったのは幸いと言うべきでしょう。ふと顔を上げる

と、戸口に年かさの男が立ちはだかって、わたしをにらみつけていたからです。

『もうけっこうですよ、メラスさん。おわかりでしょうが、今ご覧になったのはごく内輪

の問題です。本当はあんたの手を煩わせるつもりはなかったんですがね。この交渉を始め

たギリシャ語のわかる仲間が東方へ帰らなければならなくなって、急きゆう遽きよ、代理

の人間が必要になったわけです。そうしたら、幸運にもあんたの評判を耳にしましてね』

 わたしは黙ってうなずきました。

『さあ、ソヴリン金貨で五ポンドお支払いしましょう』男はわたしのほうへ歩み寄って言

いました。『謝礼としては充分のはずです。ただし、くれぐれも忘れないように』わたし

の胸をぽんと叩たたき、ヒヒッと笑いました。『この件について誰かにしゃべったら──た

とえ一人だろうと誰かにしゃべったら、そのときはこっぴどい目に遭いますぞ!』

 この下品な男に感じた嫌悪感と恐怖を、いったいどう表現したらいいのでしょう。ラン

プの光に照らされて、初めて顔がはっきり見えました。血色の悪い黄ばんだ肌、貧弱なひ

げがまばらに生えたとがった顎あご。唇とまぶたは舞踏病のように絶え間なく小刻みに痙

けい攣れんしています。例の耳ざわりな引きつった笑いも、なにかの神経の病気だろうか

と思いました。しかしなによりぞっとするのは、冷たく光る鉄灰色の目です。その奥に悪

意に満ちた血も涙もない残虐さが潜んでいるように見えました。

『誰かに一言でも漏らせば、すぐにわかる』やつは言いました。『独自の情報網があるん

でね。さて、外に馬車が待ってますよ。仲間に自宅まで送らせましょう』

 わたしは急かされるまま玄関ホールを抜け、馬車に乗りこみました。そのときにまた木

立と芝生がちらりと見えました。ラティマーがすぐあとから乗ってきて、無言で向かいの

席に座りました。沈黙の中、窓をすべて閉めきった馬車で、再び果てしなく長い旅が始ま

りました。ようやく馬車が止まったのは、真夜中を少し過ぎた時刻でした。

『ここで降りていただきましょう、メラスさん』ラティマーが言いました。『お宅からは

だいぶ離れているが、我慢してもらわないとね。馬車を尾つけようなんてことは考えない

ほうが身のためですよ。痛い目に遭うことになる』

 そう言って彼がドアを開けたので、わたしは外へ飛び降りました。それとほとんど同時

に御者が馬に鞭むちをくれ、馬車はがたごとと走り去っていきました。わたしはあたりを

見渡して、びっくりしました。そこはヒースの荒れ地みたいな場所で、あちこちにハリエ

ニシダの藪やぶが黒々と見えます。はるか遠くに家が連なっていて、窓にはぽつぽつと明

かりがともっています。反対の方角を向くと、鉄道の赤い信号灯が見えました。

 わたしを乗せてきた馬車はすでに視界から消えていました。その場に立ちつくして、

きょろきょろしながら、ここはいったいどこだろうと考えていると、暗がりの中を人影が

こちらへ近づいてきました。すぐそばまで来ると、駅のポーターでした。

『ここがどこだか教えてくれないか?』わたしは尋ねました。

『ワンズワース公有地ですよ』

『ロンドン行きの汽車に乗りたいんだが』

『一マイルばかり歩けば、クラパム駅です。ヴィクトリア駅行きの最終にぎりぎり間に合

うでしょう』

 ホームズさん、わたしがその夜に遭遇した出来事はこれで全部です。自分がどこにいた

のか、話した相手は誰だったのか、今お話ししたこと以外はなにもわかりません。ただ、

なんらかの悪だくみが進行しているのは確かです。あの哀れな男をなんとか救いだしてや

りたくて、次の朝にこちらのマイクロフトホームズさんに相談した次第です。そのあと

警察にも届けました」

 この不可解な体験談を聞き終わったあと、一同はしばらく黙りこくっていた。やがて

ホームズが兄のほうを向いて問いかけた。

「なにか手を打ったのかい?」

 マイクロフトは、サイドテーブルの上からデイリーニューズ紙を取りあげた。

「こういう広告を日刊紙すべてに出した。『アテネから来たギリシャ人で、英語を話せな

いパウロスクラティデスなる紳士の所在を教えてくださった方に謝礼を進呈。ソフィー

というギリシャ人女性に関する情報をお寄せくださった方にも謝礼。連絡先はX247

3』今のところ反応はまったくないがね」

「ギリシャ公使館はどうだろう?」

「問い合わせたが、なにも知らんそうだ」

「じゃあ、アテネの警察本部に電報を打とう」

「ホームズ家の活力はシャーロックが独り占めしているんですよ」マイクロフトは私を振

り向いて言った。「では、この事件を引き受けてくれるね。進展があったら、知らせてく

れ」

「了解」ホームズは椅子から立ちあがった。「必ず報告するよ。メラスさん、あなたに

も。それはそうと、メラスさん、身辺を充分警戒なさったほうがいい。あなたが他言した

ことは新聞広告で連中に知られたでしょうからね」

 二人でベイカー街へ歩いて帰る途中、ホームズは電報局に立ち寄って何本か電報を打っ

た。

「どうだい、ワトスン、なかなか充実した夕べだったろう? これまで手がけた中で群を

抜いておもしろい事件のいくつかは、こうやってマイクロフトから持ちこまれたんだ。

さっき聞いた事件も、成り立ちうる解釈はたったひとつだが、顕著な特徴が盛りだくさん

だね」

「解明できそうかい?」

「ああ。すでにこれだけわかっているんだから、残りを突きとめられないわけがない。き

みも話を聞いて、全体像がもう見えたんじゃないか?」

「漠然とだけどね」

「きみの推理を聞かせてくれないか」

「たぶん例のギリシャ人女性は、ハロルドラティマーと名乗った若いイギリス人に誘拐

されたんだろうね」


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09/29 15:27