ハリスンは思った以上に凶暴でしたよ。ナイフで襲いかかってきたので、こっちも二発
ほどパンチをお見舞いしましたが、取り押さえる前に拳こぶしに切りつけられてしまいま
した。勝負がついてからも、腫はれあがっていないほうの目は殺意でぎらついていました
よ。しかし最後は説得に応じて条約文書を僕によこしました。そのあとハリスンを放して
やりましたが、今朝フォーブズ刑事に詳細を電報で伝えておきました。警察が迅速に行動
して逃げた鳥をつかまえられれば、めでたしめでたし! しかし、警察が駆けつけたとき
には巣は空だったという結末のほうが、政府にとっては都合がいいのかもしれませんね。
ホールドハースト卿きようもフェルプスさんも、できれば警察沙ざ汰たにはしたくないで
しょうから」
「なんてことだろう!」フェルプスはあえぎながら言った。「この十週間、わたしが地獄
の苦しみを味わっていたあいだ、盗まれた文書はずっとあの部屋にあったわけですね?」
「そういうことです」
「しかもジョゼフが犯人とは! あのジョゼフがあくどい泥棒だったなんて!」
「あの男は見かけよりはるかに腹黒い危険な人物です。格闘のあとに本人から聞きだした
話によると、株に手を出して大損したようです。まとまった金が手に入るなら、どんなこ
とでもやるつもりだったんでしょう。根っからの自分勝手な性格ですから、好機到来と見
れば、妹の幸せやあなたの名誉を犠牲にしてもかまわないと考えるやつなのです」
フェルプスは、椅子に深く沈みこんだ。「頭がくらくらする。聞いているだけでめまい
がしてきました」
「この事件がなぜ難解かというと」ホームズは独特の講義口調で話し始めた。「証拠があ
まりに多すぎるからです。重大なことが見当違いのささいなことの陰に隠れて、見えなく
なってしまいました。そこで、目の前にあるさまざまな事実の中から肝要な事柄だけを選
びだし、それらを順序よくつなぎ合わせ、この不思議な一連の出来事を再現する必要が
あったのです。僕は早いうちからジョゼフ・ハリスンが怪しいとにらんでいました。事件
当夜、あなたがジョゼフ・ハリスンと同じ汽車で帰宅するつもりだったと聞いたからで
す。そういう事情なら、ハリスンが役所へあなたを誘いにいった可能性は充分あります。
以前あなたに内部を案内してもらったので、勝手はわかっていたはずですからね。さら
に、何者かがあなたの病室へ忍びこもうとしたと聞いて、あそこになにかを隠しておいた
者がいるとすれば、ハリスンだけだと気づきました。あなたが近所の医者に付き添われて
ロンドンから帰宅した晩、ハリスンが部屋を急きゆう遽きよ明け渡したというお話でした
ね。しかも侵入事件が起きたのは、あなたが看護師をつけずに一人でお休みになった最初
の晩でした。これはどう考えても家庭内の事情に詳しい者のしわざです。こうして僕の抱
いていた疑惑は確信へと変わりました」
「どうしてそこに気づかなかったんだろう!」
「僕の調べた範囲では、今回の事件の真相はこうです。ジョゼフ・ハリスンはチャールズ
街側の通用口から役所に入り、来たことのある場所なので迷わずあなたがいるはずの部屋
へ行った。それがちょうど、あなたが管理人室へ向かった直後だった。部屋に誰もいな
かったので、ハリスンはすぐに呼び鈴を鳴らした。そのとき、テーブルの上の書類がふと
目に留まった。莫ばく大だいな価値のある国家の機密文書が目の前にさあどうぞとばかり
に置いてある。即座に文書をポケットに突っこみ、急いでその場から立ち去った。覚えて
おいででしょうが、寝ぼけまなこの管理人が呼び鈴のことをあなたに尋ねるまで少し時間
がありました。盗ぬすっ人とはその隙にまんまと逃げおおせたのです。
ハリスンは駅へ行き、次の汽車でウォーキングへ戻った。車中で戦利品を調べ、まちが
いなく非常に値打ちのあるものだと確認した。家に着くと、一番安全だと思う場所へ隠し
た。翌日か翌々日にはそこから取りだして、フランス大使館かどこか、高値で買い取って
くれそうなところに売りつけるつもりだったにちがいない。そこへ突然あなたが帰宅し、
前ぶれもなくいきなり部屋から追いだされてしまった。それ以来、部屋にはつねに二人以
上の人間がいたので、いつまで経っても宝物を取り戻すことができない。腹が立ってどう
かなってしまいそうだったでしょう。が、ようやくチャンスが到来したので、部屋に忍び
こもうとしたが、あなたが目を覚ましたので失敗に終わった。あの晩、あなたはいつもの
薬を飲まなかったのでは?」
「ええ、そういえばそうです」
「ハリスンはあらかじめ強い薬を仕込んでおいたのでしょう。だからてっきりあなたが熟
睡しているものと思いこんだ。もちろん、安全なときがあればまた忍びこもうとするはず
です。たとえば、あなたが部屋にいないとわかっているときに。そこで僕はハリスン嬢に
頼んで一日中あの部屋にいてもらい、あの男に隙を与えませんでした。そのうえで、今な
ら危険はないと思わせる状況を作り、さっき話したように茂みで見張っていたのです。文
書があの部屋にあるのはわかっていましたが、床板や巾はば木をはがして探すようなまね
はしたくありませんでした。そこで盗んだ本人に隠し場所から取りださせ、こっちの手間
を省いたわけです。さて、ほかにまだご不明な点はありますか?」
「最初のとき、なぜ窓から忍びこもうとしたんだろう?」私は聞いた。「廊下側のドアか
ら入ればよかったのに」
「ドアへ行くには七つの寝室の前を通らなければならない。庭に出て窓へまわったほうが
簡単なんだよ。ほかにはなにか?」
「あの男、わたしを殺すつもりはなかったんですよね?」フェルプスが訊きいた。「ナイ
フを持っていたのは窓をこじ開けるためだけですよね?」
「そうかもしれません」ホームズは肩をすくめた。「しかし、これだけはきっぱり申して
おきます。ジョゼフ・ハリスンはなにをやるかわからない男ですよ」