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空家の怪事(2)
日期:2024-02-14 23:58  点击:301

 とすると、いったいどんなふうに死に直面したのだろう。誰かが痕跡 こんせき を残さずに窓に

よじのぼったということは考えられない。すると窓ごしに射たれたのか。拳銃の一発で致

命傷とは、たいした名人である。それに、パークレインという道は人通りが多いのだ

し、家から百ヤードと離れていないところに貸馬車のたまりがある。それなのに、誰も銃

声を聞いていない。しかも、現 げん に人が死んでおり、拳銃弾が出てきたのだ。ダムダム弾

はそうなるのだが、弾の先が茸 きのこ 状にひしゃげて、大きな傷を負わせている。きっと即死

だったに違いない。これがパークレインの怪死事件のあらましである。

 すでに述べたように、この青年アデアには敵もなく、部屋の中の金や貴重品にも手をつ

けていないのだから、まったく動機がわからなくて、事件はますます複雑怪奇であった。

 こうした事実を、私は一日じゅう、心に浮かべて思いめぐらしていた。何とかして、こ

れらの事実のすべてにぴったりと適合する仮説が立てられないものか、また何とかして、

亡友シャーロックがつねづね、あらゆる捜査の出発点であると言っていた、いわゆる最少

抵抗の線が見出せないものか。

 だが、正直に言って少しもはかどらなかった。

 夕方になって、私はぶらぶらとハイドパークを抜け、六時頃には、パークレインの

オクスフォード街側のはずれまで来ていた。歩道に、一群の閑人 ひまじん が立っていて、みなが

みな、あるひとつの窓を見上げているので、目ざす家がどれであるか、すぐにわかった。

たしかに私服刑事だと思われる、色眼鏡をかけた痩 せぎすののっぽが、事件について私見

を述べたてているのを、人々が取り囲んで聞き入っていた。私はできるだけ近寄ってみた

が、話にもならない所見ばかりのようだった。

 そこでいささか厭気 いやけ がさして、そこを離れようとしたとき、後ろにいた不恰好 ぶかっこう

老人にぶつかって、老人の手にしていた数冊の本を、はたき落してしまった。それを拾っ

て返しながらふと見ると、そのうちの一冊が『樹木崇拝の起源』という本だったのを覚え

ている。そして私は、老人が貧乏な愛書家か何かで、商売か趣味か知らないが、稀覯本 きこうぼ

を蒐集しているのに違いないと思って驚いたのだった。私はしきりに不始末を詑 びたの

だが、運悪く私に虐待 ぎゃくたい をうけたこれらの書籍は持ち主の老人にとってどうやらひどく

貴重な品物であるらしかった。じゃけんに罵 ののし りながら、踵 くびす をめぐらして立ち去ってし

まった。その曲がった背中と白い頬髯 ほおひげ が人ごみの中に消えて行くのを、私は見送った。

 私のパークレイン四二七番地の視察は、興味を抱いていたこの事件に、何ら解決の糸

口をもたらさなかった。建物と往来の間は、手すりを入れて高さ五フィートを出ない低い

へい で仕切られていた。だから、庭に入って行こうと思えば、誰でも易々 やすやす と入ることが

できた。しかし件 くだん の窓によじのぼるのは全く不可能だった。雨樋 あまどい も何もなくて、よ

ほどはしっこい人間でも、とっつきようがなかった。私はますますわからなくなって、ケ

ンジントンの家にとって返した。

 書斎に入って五分ばかりたった頃、女中が入って来て来客を告げた。驚いたことに、そ

れはほかでもない、あの奇妙な老書籍蒐集家だった。抜け目のなさそうな、しなびた顔を

白毛に囲まれた中からのぞかせ、右の腋 わき の下にはおよそ一ダースもの貴重な書籍をぎっ

しりと抱えこんでいた。

「びっくりなさいましたな、私をご覧になって」

 老人は妙なしゃがれた声を出した。私はそうだと答えた。

「いやあ、良心がとがめましてな。あなたの後ろからトコトコやって来たら、この家に入

りなさるのを見かけたもんで、これはひとつ立ち寄って、あの親切なお方にご挨拶してお

こうと思いましてね。先ほどは、どうも無愛想なことをしましたが、何も悪気があったわ

けじゃありません。それから、わざわざ本を拾って頂いたりして、ありがとうございまし

た」

「なあに、あんなことをわざわざそんなに。それにしても、どうして私のことをご存知で

したか」

「それがあなた、無躾 ぶしつけ ながら、私はこのご近所の人間でしてな。チャーチ通りの角で、

ちっぽけな本屋をいたしておりますから。どうかひとつ、今後ともごひいきに願いたいも

んで。こちらも蒐集なさっとられるようですな。これは『英国鳥類』ですな。これは『カ

タラス詩集』、これは『神聖戦争』……みな掘り出しものばっかりで。あと四、五冊あれ

ば、二段目の棚のすきまはいっぱいになりますな。あれでは折角のものが映 えませんよう

で」

 私は首をねじって後ろの飾り棚を見た。向き直ると、シャーロックホームズが机の向

こうに立って、にやにやと私を見ていた。私は思わず立ち上がると、数秒間、茫然 ぼうぜん と彼

を見つめていたが、生まれてこのかた、後にも先にもたった一度の気絶をやらかしたらし

い。たしかに灰色の靄 もや のようなものが目の前をぐるぐる渦巻いていたのだが、それが消

えてみると、カラーがゆるめてあり、口のあたりがブランデーの後味でひりひりしてい

る。ホームズがブランデーの壜 びん を手にして、椅子の上から私をのぞきこんでいた。

「いやあ、ワトスン君」

 なつかしいホームズの声だ。「まったく済まなかった。こんなにショックを与えるとは

思わなかったんだ」

 私は彼の袖をつかんだ。

「ホームズ! ほんとうに君なのか。よくまあ生きていたねえ。いったい全体どうやっ

て、あの恐ろしい谷底から登って来たんだい」

「まあ待ちたまえ。もう大丈夫、じっくり話ができるようになったかい。あんな芝居が

かった現われ方をしたりなんかして、ひどくびっくりさせてしまったからね」

「いや、大丈夫だ。しかしまったくのところ、自分の目を疑うねえ、ホームズ君。実際、

君が……人もあろうに君がだよ……僕の部屋に立っているなんて」

 私はもういちど彼の袖をつかんで、服の上から細い筋肉質の腕をまさぐった。


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09/29 09:22