「もしこれをご覧になっていらっしゃったら、私が朝っぱらから何の用でやって来たか、
ひと目でおわかりになったと思うんです。自分の名前も、この不運な出来事も、世間に知
れわたってしまっているような気がしていたんですけれど」と、新聞をめくって、中の
ページをひろげた。
「ここです。お許しを頂いて私が読みますから。よろしいですか、ホームズさん。見出し
はこうなっています。
『ロウアー・ノーウッドに怪事件。知名の土建業者失踪 しっそう す。殺して放火か。犯人の目
星つく』
こんな目星をつけて、もう捜査を始めているんです。その目星が僕だということは絶対
に確実です。さっきも、ロンドン・ブリッジ駅から尾行されました。すぐ来ないのは、
きっと逮捕状の出るのを待っているだけなんです。母が聞いたらどんなに悲しむこと
か……ああ、死ぬほど悲しみます」
彼は不安にもだえて両手をにぎりしめ、椅子の中で身体を前後に揺り動かした。
私は重罪犯として追及されているというこの青年を、興味ぶかい思いで眺めた。髪は亜
麻 あま 色、元気のない、消極型の美青年である。おどおどとしたその目は青く、髭 ひげ はきれい
に剃 そ って、弱々しい感じやすい口元をしている。年は二十七くらいであったろうか。服装
や物腰は紳士であった。薄い夏外套のポケットからはみ出した、裏書きのあるひと束 たば の
書類は、彼の職業を物語っていた。
「時間を有効に使いましょう」ホームズは言った。「ワトスン君、すまないが、その新聞
を頂いて、問題の記事を読み上げてくれないか」
私は青年が読んで聞かせた、いかつい見出しの下の、次のような暗示的な記事を読み上
げた。
『昨夜遅く、あるいは今 こん 未明、郊外のロウアー・ノーウッドで、暗に重大な犯罪を思わ
せる事件が起こった。ジョーナス・オウルデイカー氏は同地の名士で、多年土建業を営ん
でいたが、独身で、本年五十二歳、ディープ・ディーン荘に住む同氏は、交際を嫌って引
きこもりがちの、奇行多い人として知られていた。事業では相当の産をなしたといわれる
が、数年来、事業からは事実上、手を引いていた。しかし同家の裏手にはまだ材木置場が
あり、昨夜十二時ごろ、この一部から出火したものである。ただちに消防ポンプ数台がか
けつけたが、乾燥した材木は激しく燃え上がって火勢を阻 はば みえず、ついにその一部を完
全に焼失した。
事件はここまでは単なる火災事故としか思われないが、重大な犯罪を思わせる徴候が
生々 なまなま しく残されている。すなわち驚くべきことに、同家の主人が火災現場に見えず、た
だちに捜索した結果、氏はディープ・ディーン荘から失踪していることが明らかとなっ
た。氏の居室を調べたところ、ベッドは寝たあとがなく、金庫が開け放たれており、多数
の重要書類が室内に散乱し、さらに猛烈な格闘のあとがあって、室内から薄い血痕 けっこん が発
見されたが、置いてあった槲 かしわ のステッキの把手 とって にも血がついていた。
ジョーナス・オウルデイカー氏は、同夜、寝室で一人の客を迎えたことが知られてお
り、発見されたステッキはその客の持ち物であることがわかった。この男はロンドン市
イースト・セントラル局区内グレシャム・ビル四二六番のグレアム・アンド・マクファー
レイン法律事務所の弟分、若い、ロンドン事務弁護士ジョン・ヘクター・マクファーレイ
ンであることが判明した。警察は明らかに同犯罪の動機となったと思われる証拠を握った
と語っており、総じてこの事件はセンセーショナルな展開を見せることは疑いの余地がな
い』
『追報……記事〆切 しめきり 後となって、ジョン・ヘクター・マクファーレインが、ジョーナ
ス・オウルデイカー氏殺人の容疑で、すでに逮捕されたとの噂 うわさ が伝わった。少くも逮捕
状はすでに発行された模様である。ノーウッドの現場における捜査によって、事態はさら
に不吉な展開を見せている。被害者の室内からは、前記の格闘のあとのほかに、同寝室
(階下にある)のフランス窓があけ放たれていたこと、材木置場まで嵩 かさ ばったものを引
きずったらしい痕跡のあることなどが発見されたが、焼跡の灰の中から黒焦げになった遺
体らしいものが発見されたとの説も伝わっている。警察の見解によれば、犯人は被害者を
室内で撲殺 ぼくさつ したのち、書類を荒らし、死体を引きずって材木置場に運び、犯行をくらま
すために火を放ったという、きわめてセンセーショナルな犯罪であるという。捜査の指揮
はロンドン警視庁の老練警部レストレイド氏の手にゆだねられ、氏の精力的な敏腕は、す
でに活躍を始めている』
シャーロック・ホームズは、この驚くべき記事に、目を閉じたまま、両手の指先をふれ
あわせてじっと聞き入っていたが、ものうげに口を開いた。
「たしかにこの事件は面白いところもあるね。それでは、マクファーレインさん、あなた
を逮捕すべき正当な証拠が充分あがっているのに、まだそうやって自由の身でいらっしゃ
るのはどういうわけですか、まずそれからうかがいましょう」
「私はブラックヒースのトーリントン・ロッジに両親と住んでおりますが、昨晩はジョー
ナス・オウルデイカー氏の件で遅くなって、ノーウッドのあるホテルに泊ったのです。そ
して今朝はそこから出勤してきました。事件のことは、汽車の中で、今お読み下さった新
聞を見るまで、何も知りませんでした。すぐに、自分の立場が恐ろしい危険にさらされて
いるのを知って、そのままこちらにお願いに上がったわけです。ロンドンの事務所か家に
顔を出していたら、そのまんま逮捕されていたに違いありません。ロンドン・ブリッジ駅
からひとり尾行がついていましたので、もう、きっと……ああっ! あれは何でしょう」
呼鈴の音だったが、続いて直ちに階段を上がってくる重たい足音が聞こえた。と思う
と、旧友のレストレイド警部が戸口に現われた。肩ごしにちらと、制服の巡査が二人ばか
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