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ひとり自転車を走らせる女(2)
日期:2024-02-14 23:58  点击:600

「そうですわ、ホームズさん。シリルモートンといって電気技師ですの。夏の終りごろ

には結婚しようと思っています。あら、どうしてあの人のことなんかお話ししたんでしょ

う。お話ししたいのは、ウッドリさんはまったくいやらしい人なんですけど、カラザズさ

んのほうはご年配で、ずっと感じのいい方なんです。頭髪の黒っぽい、浅黒い顔をきれい

に剃って、口数の少ないほうで態度も丁寧で、感じのよい笑顔をなさるのです。父が亡く

なってからのことをお尋ねになるので、非常に貧しいことをお伝えしますと、自分の家へ

来て十歳になるひとり娘に音楽を教えるようにとおっしゃって下さいました。母を独りに

しておきたくないと申しますと、週末には家に帰ったらよい、一年に百ポンド出すとおっ

しゃいました。これはたいへんよい俸給なんです。とうとうお引き受けすることになっ

て、ファーナムから約六マイル離れたチルタン農場のお屋敷へ行くことになりました。

 カラザズさんは男やもめで、ディクスン夫人という、ご年配の立派な家政婦さんが家事

いっさいの面倒を見ていらっしゃいます。お子様もたいへん可愛くて、すべてがうまくい

きそうに思えました。カラザズさんは親切で、その上たいへん音楽好きなんですの。夜な

どふたりでとても楽しく過ごしました。そして週末になるとロンドンの母のところに帰り

ました。

 こうした私の幸福に、最初のひびが入りましたのは、あの赤鬚 あかひげ のウッドリさんが来ら

れたときなんです。一週間の滞在で見えたのに、私には、何と三か月もいらしたような気

がしましたわ。とてもこわい方で、誰にでも威張 いば り散らし、私にはまったくたまらない

くらい、いやな人に思えました。自分の財産を鼻にかけて、いやったらしく私に言い寄

り、結婚すればロンドンでいちばん立派なダイヤモンドを買ってやるなどとおっしゃるの

です。私が知らん顔をしてるものですから、しまいにはある日、夕食後私を抱きとめて、

……それがどうにもならぬほど恐しい力なんですの……そしてキスしなければ放してやら

ないなどとおっしゃるのです。 ちょうど、カラザズさんがお出でになって引き離して下

さいましたが、今度はカラザズさんに向かっていき、打ち倒して、頭に怪我までさせてし

まいました。それっきりで帰っておしまいになったことは申すまでもありません。次の日

カラザズさんは私に詑 びて、二度とこんな目に会わさせないからと約束して下さいまし

た。それ以来、ウッドリさんにはお目にかかっておりません。

 ところで、ホームズさん、これからなんです。とうとう奇妙な出来事に出会いまして、

今日ご相談におうかがいしたのは……。私は毎週の土曜日に、十二時二十二分の汽車でロ

ンドンへ帰るために自転車でファーナム駅まで参ります。チルタン農場からの道は淋 さび

いところですが、なかでも一箇所、片方がチャーリントンの荒野で、もう一方がチャーリ

ントンの地主邸をめぐる森になっているのが一マイル以上も続き、そこはとくに淋しい道

なんです。こんなに淋しい所はほかにはないと思いますわ。だって、クルックスベリ丘に

近い大通りに出るまで、荷馬車一台、お百姓ひとりだって会うことはないんですもの。

 この二週間前、そこを通っていて、ふと肩越しに振り返りますと、二百ヤードばかり後

ろから男がひとり、自転車で来るのが見えました。中年の男で、黒い短い顎鬚 あごひげ が目につ

きました。ファーナムに着く前に、もういちど振り返りましたが、もういませんでしたの

で、べつに気にもとめなかったのですが……、でも月曜に帰ってゆきますと、また同じ人

が同じくらいの間隔でついてくるのを見てびっくりしたんです。次の土曜も月曜もまった

く同じことが起こったので、ますます変だと思いはじめました。一定の間隔をとっている

し、べつに邪魔するわけでもないんですが、でも何だか気味が悪いことですわ。カラザズ

さんにお話ししますと、興味ありげに聞いていらしたんですが、これからは独りであんな

淋しい道を通うことがないように馬と軽馬車を注文して下さいました。

 馬車は今週中に間に合うはずでしたのに、どうしたわけかまだ参りませんので、また自

転車を駅まで走らせねばならなかったのです。今朝のことなんです、チャーリントンの荒

野まで来ますと、やはり振り返らないではいられないでしょう? するとやはり先々週、

先週と同じにいるんですのよ。顔がはっきり見えないくらいに離れていますが、やはり誰

か知らない人のようです。黒い服を着て、布のハンチングをかぶってるんです。顔ではっ

きりわかるのは黒い顎鬚 あごひげ だけです。今日は怖しさよりも好奇心のほうが強かったもので

すから、いったい誰なのか、何をしようとするのか確かめてやろうと決心したのです。こ

ちらが速度をゆるめると、相手もゆるめます。自転車を止めてしまうと、やはり止めるん

です。それじゃ今度は罠 わな にかけてやろうと思いました。少し先に急な曲がり角があるの

で、そこまで飛ばしていって曲がった所で待っていました。急いで曲がって来て、あっと

思って通り過ぎるだろうと思ったんです。ところが来ないんです。引き返して、角を曲

がってみますと、道は一マイルも続いているのに、その男はいないんです。不思議でなら

ないのは、逃げ込む脇道なんかひとつもないんです」

 ホームズは独りで悦 えつ に入って揉 み手をした。

「この事件はたしかに独特の面白さがありますね。で、貴女が角を曲がってから、道路上

に誰もいないのを確かめるまで、どれくらい経 っていましたか?」

「二、三分ですわ」

「それじゃ、引っ返すこともできないし、お説によれば脇道もないというわけですね」

「ありません」

「では、どちら側か、細い野道に入って行った……」

「ヒースの原のほうでしたら、そんなこと、あり得ません。私のほうから見えたはずで

す」

「そういう具合に消していきますと、とどのつまり、彼はチャーリントン地主邸のほうへ

入りこんだという結論に達しますね。屋敷は道に沿った広い地所の中にあるんでしたね。

ほかに何か」

「ほかにと申しまして、ただ途方に暮れてしまって、お目にかかって助言をいただけます

ならば安心できると思いまして」

 ホームズはしばらく黙り込んでいた。

「婚約なさった方はどちらにおいでです」やっと口をきった。

「コヴェントリのミドランド電気会社に勤めております」

「ひょっくり訪ねて来て、びっくりさせるようなことはありませんでしょうね」

「まあ! ホームズさん! そんなこと。どういう人だか承知しておりますわ」

「ほかにあなたに心を寄せていたような方は」

「シリルを知る前には二、三ありましたが……」

「その後は」

「強いていえば、あの怖ろしいウッドリさんくらいです」

「ほかにはありませんね」

 美貌の客は、ちょっと当惑したようだった。


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