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ひとり自転車を走らせる女(3)
日期:2024-02-14 23:58  点击:342

「誰です」ホームズはせきたてた。

「でも、これは私の思い過ごしかもしれませんが、ご主人のカラザズさんが度を過ぎて私

に関心をお持ちになっていらっしゃると思えることがありますの。私たち、あまり一緒に

なり過ぎると思うんです。夜など私が伴奏いたしますし……もちろん申し分のない紳士で

すから何もおっしゃらないんですが、でも女はいつもわかるのです」

「ははあ」ホームズは真剣になった。「で、生活のほうは何をやってるんです」

「お金持ちですから……」

「それで馬車も馬もないという……」

「でもかなり裕福なんですのよ。一週に二、三度ロンドンのほうへおいでになります。南

アフリカの金鉱株にはずいぶん関心をもっていらっしゃいます」

「スミスさん、何か新しいことでも起こりましたら、お知らせ下さい。今のところ、すご

く忙しいんですが、時間を見つけて、この事件も調べて見ますから……その間、僕に断わ

りなしに、別に変わったことはしないで下さい、では、いい知らせの外はないように願っ

てますよ」

「きれいな婦人が後をつけられるということは、自然の理でもあるんだね」瞑想 めいそう 用のパ

イプを引き寄せながら、「でも、よりによって、あんな淋しい田舎道で自転車に乗るなん

てことはしないほうがいいね。誰か彼女の知らない恋人があることはたしかだよ。しかし

ワトスン君、この事件には、奇妙な思わせぶりなところがあるね」

「変な男がきまった場所にしか現われないということかい?」

「その通りだ。まず最初に、チャーリントン地主邸に誰が住んでいるのか、それを調べな

きゃならんね。それから、カラザズとウッドリだが、このまったく違うタイプの人間が、

どういう関係にあるのか。さらに、このふたりとも、レイフスミスの遺族のことで、な

ぜこう夢中になるのか。もうひとつ、家庭教師に相場の二倍も払っていながら、駅から六

マイルも離れているのに馬の一頭もおいてないなんて、一体この男の家計はどうなってる

のか。変だよ、ワトスン君、まったくおかしいよ」

「出かけて行くんだろうね」

「それが行けないんだよ、ねえ。君が行ってくれよ。どうせつまらぬたくらみだろう

が……こいつのために他の大事な調査を中断するわけにはいかないんだ。月曜の朝、早め

にファーナムに着いて、チャーリントンの原に隠れるんだ。どんなふうになってるのか、

自分で観察し、あとは自分の判断どおり臨機応変 りんきおうへん にやるんだね。それから屋敷に住

んでる奴について聞き込みをし、帰ったら僕に報告してくれ。ところで、ワトスン君、何

かはっきりした踏石 ふみいし が見つかって、事件の解決に渡りがつく目当てがあるまでは、こい

つについて何も言わないことだ」

 確かめたところによると、ミススミスは月曜日の朝ウォータルー発九時五十分の汽車

に乗るということだったから、私は早めに発って、九時十三分の汽車に乗った。ファーナ

ム駅から、チャーリントン荒野への道はすぐわかった。かの若い婦人が冒険を試みた場所

を見あやまることはない、……一方にはヒースの原が続き、片方には、《いちい》の古い

生け垣のなかに大きな木が茂っている庭園があり、その間を道は貫いているのである。屋

敷には大きな入口があり、苔 こけ むした石門の両側の柱には鋳物 いもの の紋章がはめ込んであ

る。しかしこの門のほかにも、生け垣にはいくつかの切れ目があり、小さい道がそれに続

いているのである。屋敷の建物は道路からは見えず、まわりの庭のさまは陰鬱 いんうつ と荒廃を

物語っていた。

 ヒースの原には一面ハリエニシダの花が黄金 こがね 色に咲き乱れ、明るい春の日差しにまば

ゆいばかりに輝やいていた。私は、草むらの恰好の位置に隠れて、屋敷の門口と長く続い

ている道の両方が見渡せるようにした。私が草むらに行ったときは道には人影もなかった

のに、いま、私が来たのと反対の方向から、自転車が走ってくるのを見たのである。黒い

服を着て、黒い鬚 ひげ をつけているのが遠目に認められた。その男は、チャーリントンの地

所の向こう端まで来ると自転車を降り、車を生け垣の切れ目に引き入れると見えなくなっ

た。

 五分もたったであろうか、一台の自転車が現われた。今度のは駅から乗って来たあの若

い婦人である。彼女はチャーリントン邸の生け垣にかかるとあたりを見まわした。と、例

の男が生け垣の隠れ場からするすると出て来て、自転車にまたがり、婦人の後を追いはじ

めた。この広々とした風景の中で、動くものは、ただ二人の姿だけである。……しとやか

な婦人は自転車の上に、しゃんと背を伸ばし、後ろを行く男はハンドルの上に低く屈 かが

こんで、動作のひとつひとつが妙に人目を忍ぶ様子であった。婦人は後ろを振り返ると、

スピードを落とした。男もゆるめる。婦人が止まると男もすぐ二百ヤードの間隔を保った

まま止まる。

 次の瞬間、婦人のとった行動は、まったく勇敢であり、意外なものであった。突然自転

車をまわすと、その男に向かって突進して行ったではないか! しかし相手も劣らずすば

しこかった。向きをかえると一目散に逃げ去ってしまった。婦人はふたたび道をもどって

くる。昂然 こうぜん と頭をあげ、あんな無言の追跡者などにはもう目もくれなかった。続いてま

た例の男が同じく間隔を保ちながら引き返してきた。道がカーブにかかると二人の姿は見

えなくなった。

 私は、隠れ場所にじっとしていたが、我ながらうまい所に隠れたものである。例の男が

まもなくゆっくり自転車を走らせてもどって来たのだ。彼は屋敷の門を入った所で、降り

た。二、三分そこに立ち止まっているのが樹の間から見えたが、両手をあげてネクタイを

直しているらしかった。ふたたび自転車に乗ると、屋敷へ向かって走らせた。私は走り出

して、樹の間からのぞき込んだ。古びた灰色の建物にチューダー様式の煙突が突っ立って

いるのが、ちらと見えるだけで、園内の車路は深い茂みの中を通っているので、自転車の

男の姿は見えなかった。

 惜しいことをしたのだが、今朝は充分仕事をしたと思われ、意気揚々とファーナム駅へ

引きあげた。それからここの家 いえやしき 差配人のところへ行って、チャーリントン屋敷

のことを尋ねたが、何もわからず、ただ、ロンドンのペルメルにある有名な商会で聞い

てくれとのことだった。帰りに立ち寄ってみると、代理人が鄭重 ていちょう に迎えてくれたが、

この夏、屋敷を借りるわけにはいかなかった。遅かりし何とやら、ひと月前に借り手が

あったという。契約者はウィリアムスンという人で、立派な年配の紳士である、というこ

とだけで、お客のことはあまり立ち入ってお話しできないと恐縮するのだった。


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09/29 11:35