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プライアリ学院(1)
日期:2024-02-14 23:58  点击:339

プライアリ学院

 われわれのささやかなベイカー街の舞台には、相当劇的な人物の登場や退場があったも

のだが、これから述べようとする、文学修士、哲学博士等々の肩書きをもつソーニクロー

フトハックスタブル教授が最初に現われたときほど、突然で度胆 どぎも を抜かれたことは他

に思い出せない。学者らしい肩書きが所狭しと並べたてられた名刺がまず通され、次いで

ご当人が堂々として威厳のある身体を現わしたが、それは沈着堅実の権化 ごんげ ともいうべき

姿であった。しかもその人物が部屋に入ってドアを後ろ手に閉めると、まずしたこととい

えば、テーブルによろめきかかり、足をすべらせ、炉前の熊皮の敷物に巨大な身体がへた

へたと、伸びてしまったのである。

 われわれは驚いて立ち上がったが、しばらくは呆然 ぼうぜん として、かの人生の大洋の遠い沖

合いで突如として起こった運命の嵐を思わせる、この巨大な難破物を見つめるばかりだっ

た。しかし、はっとしてホームズはクッションをその頭にあてがい、私もブランディを口

に含ませてやった。色白の陰気な顔には苦悩の皺 しわ が幾筋も刻み込まれ、閉じた眼の下の

皮膚のたるみは鉛 なまり 色になっており、だらしない口元が哀れに両すみへ垂れ、丸みを帯び

た顎 あご には不精髯 ぶしょうひげ が生えていた。シャツとカラーは長い旅を物語るように垢 あか に汚

れ、形のよい頭には髪が乱れて逆立っていた。

 このように、われわれの眼前に倒れているのは、痛ましくも打ちひしがれた、ひとりの

男だったのである。

「どうしたんだろうね? ワトスン君」ホームズは不審顔だった。

「極度の疲労だね……多分空腹と疲労だと思うが……」こう言って私は脈をとったが、そ

の生命の流れ、血液は薄くゆるく脈うつだけだった。

「北部イングランドのマックルトンで買った往復切符の復券をもってるよ」ホームズはそ

の男の時計入れから切符を引き出した。「まだ十二時にならないんだね。この人はずいぶ

ん早くむこうを発って来たんだよ」

 皺 しわ のある瞼 まぶた がぴくぴく震えはじめたかと思うと、ふたつの灰色の眼がうつろにわれ

われを見上げた。と、すぐに男はよじるように立ち上がり、恥ずかしそうに頬を真赤に染

めた。

「これは失礼しました。少し過労気味なんです、ホームズさん。恐れ入りますが、ミルク

とビスケットを少々頂けないでしょうか? そうすればきっと元気づくと思いますが……

実は、私と一緒にご出張願いたいんです。電報を差し上げてみても、あの事件がこれほど

緊迫してるとはわかって頂けないような気がしましたから、私自身、参上した次第です」

「あなたが元気を回復なすったら……」

「いや、もう大丈夫です。しかしまあ、どうしてこう弱くなったもんでしょうな。ホーム

ズさん、さっそく次の汽車でマックルトンへおいで願いたいのです」

 ホームズは首を振った。

「ここにいるワトスン博士に聞いて頂いてもわかりますが、われわれはいまとても忙がし

いんです。フェランズ証書事件にも縛られていますし、アバゲニの殺人事件の公判も真近

かなんです。よくよくの重大事件でない限り、ロンドンを離れるわけにはまいりません」

「よくよく、ですって!」この客は両手を上げた。「あなたはまだホールダネス公爵唯一

のご子息誘拐事件をご存じないんですか!」

「えっ! あの前閣僚の?」

「そうですよ。新聞社にもれないよう、ずいぶん注意したんですが、昨晩のグローヴ紙に

その噂 うわさ がちょっと出てしまったんですよ。もうお耳に入ってるのかと思ってましたが」

 ホームズは細長い腕をのばして、人名辞典のHの巻を抜き取った。

「ホールダネス、六代目公爵、ガーター勲爵士 くんしゃくし 、枢密顧問官 すうみつこもんかん ……半分はアル

ファベットの肩書きが並んでいるばかりだ……ベヴァリ男爵とカーストン伯爵と……いや

はや、なんという名簿だ!……一九〇〇年以来ハラムシャーの州知事、一八八八年、

サーチャールズアプルドーの息女イーディスと結婚。跡取りは唯一の男児ソールタイ

ア卿。所領約二十五万エーカー。ランカシャーおよびウェールズに鉱山を所有。住所、

カールトンハウステラス。ハラムシャーのホールダネス地主邸、ウェールズのバン

ゴーのカーストン城。一八七二年海軍大臣。国務大臣として在任……。なるほど、この人

は皇室重臣のひとりだ!」

「最も重要な、おそらく最も富裕な重臣ですよ。ホームズさん、あなたがご自分の職業に

関して、はっきりと高潔な態度を持 しておいでで、しかも常に仕事のための仕事に励んで

おられることはよく承知しておりますが、事実を申しますと、公爵閣下は、令息の所在を

知らせた者には小切手で五千ポンド。誘拐した者の名を知らせてくれれば、さらに千ポン

ドの謝礼を出すと申されております」

「さすがは王者らしいお話ですね。ワトスン君、ハックスタブル博士と一緒にイングラン

ドの北まで出かけてみるかね。で、ハックスタブルさん、ミルクを召し上がったら、どん

なことが起こったのか、また、いつどんなふうにか、最後にマックルトンに近いプライア

リ学院のソーニクローフトハックスタブル博士と何の関係があるのか、しかもなぜ事件

発生後三日もたってから……あなたの髯ののび具合でわかるんですが……私ごとき者に調

査を依頼になるのか、以上ご説明いただきたいのです」

 客はミルクとビスケットを食べ終えていた。その眼は生き生きとし、顔色もよくなり、

力強い声でよどみなく事の次第を説明できるほどになった。

「まず、申し上ぐべきことは、プライアリ学院というのは、貴賓 きひん 子弟の予備学寮で、不

ふしょう 私がその創立者であり、また校長であることです。『ハックスタブルのホラティウス

私観』という書物の名をあげれば、私の名を思い出して下さるかと思いますが……。

 そもそもプライアリ学院は、わが国でも第一流の予備学校であることは疑いを容 れませ

ん。リーヴァストーク卿、ブラックウォーター伯爵、サーキァスカトソームズ……こ

れらの方々がこの私にご子息をお託しになりました。しかしこの三週間ほど前、ホールダ

ネス公爵が秘書のジェイムズワイルダー氏をよこされて、閣下唯一のご子息で、また跡

継ぎでもある当年十歳のソールタイア卿を託されるというご意向を伝えられたとき、わが

校の名誉もその極に達したと感激したのです。これが、わが生涯を破滅に堕 おと しいれる不

運の前奏曲になろうとは夢にも思いませんでした。


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09/29 11:32